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380/731 お母さんはお母さんだし、おばあちゃんはおばあちゃん

題名読んで「当たり前じゃん、何言ってんの」と思った方。うん。分かる。

これが当たり前のことでは無くなって来ているのだ。アメリカでは。

現在、米国議会では「mother, grandmother, father, grandfather」といった言葉の使用を禁じる法案が可決されようとしている。

ジェンダー差別や不平等の撲滅を狙ったポリコレ議論だ。

直近だと、アーメン(amen)が槍玉に上がり、先週の米国下院議会開会の挨拶の最後は"amen and a-women”と唱えて締められた。

ちなみに「アーメン」はヘブライ語で、「so be it」(そうあれかし)みたいな意味であり、ジェンダーを表す言葉ではそもそもない。

行き過ぎのポリコレを揶揄するためにやっているならウィットに富んでるとも思えなくもないが、大真面目にやっているからたちが悪い。

これまでにも、

policeman がpolice officerになり
fireman がfire fighterになるという変更はあった。

これは、警察や消防士の中には女性もいるからということで、どのジェンダーも入るようにした変更だった。同じような変更は枚挙に遑がない。

ちなみにmailman (郵便配達員)がmail carrierに変わったのは、笑いに走りたい者としてはちと残念だが、仕方ないことと納得しよう。(mail man はmale man(男男)と同音違語なの!!!)

これらはまだ分からなくもない。

だが、この"man"狩りがエスカレートして、今や

mother(母)やfather (父)はparentに(親)

grandmother(祖母)や grandfather (祖父)はparent's parents(親の親)に

uncle(叔父), aunt(叔母)は、parent's sibling(親の兄弟)に

なっていくらしい。確かにこの表記なら、同性愛カップルが養子を迎えた場合、父が2人とか母が2人とかを表現しなくても良くなる。

良くなるけれど...

「お母さん」は「お母さん」だ。この言葉は、「女性の親」を意味する以上に、概念であり、象徴であり、存在そのものを表現する言葉だ。

その思いは万国共通だと思う。

「お父さん」も「おばあちゃん」も「おじいちゃん」も然り。

お母さんが2人でも、お爺ちゃんが4人でもいいじゃないか。それが本質的な平等ってもんなのではないか。

表面的な平等を目指す言葉狩りは、その言葉をもっと意識させる効果しか生み出さない。

これは差別用語なのだ、という意識が逆に差別感を強化する。

「お母さん」という言葉を狩ってしまったら、いずれ「お母さん」という概念が失われてしまうのではないか。

それが本当に目指す平等の姿なのだろうか。

「お母さん」業(あるいは主婦業)への「評価」や「対価」に対する考え方は「逃げるは恥だが役に立つ」でも取り上げられていたけれど、それを見直すやり方は、言葉を否定することでは決してない。

私が母を「お母さん」と呼ぶ時、それはただ単に「私が10ヶ月間占有していた子宮の持ち主」を示唆する言葉なだけでは決してない。

「区別」とは「差別」ではない。そこの区別はちゃんとしておかないと、形を伴わない大切なものがどんどん排斥されていってしまう。

そんな話を読んだ数日後に、共和党の一部党員による米国議会襲撃があった。

私の育ちの故郷は今、どこに向かっているのだろう。


...明日も良い日に。

英語の記事しか見つからないのでアレなのだが、比較的短いのはこちら。興味のある方がいらっしゃったら。






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いしまるゆき
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