世界遺産「姫路城」へ行ってきました。その2
世界遺産検定1級取得を目指して勉強しているみずたまです。
記事1本で終わるかと思いきや、姫路城だけで4本ぐらい書けちゃいそうです💦
なんとマニアック~!🤭
もしお暇だったらご覧くださいね🥰
では参ります!
今日の記事は昨日の続きです。
本日は、千姫の化粧櫓を出て、大天守までのルートです✨
化粧櫓を出ると、あの「暴れん坊将軍」のロケ地として有名な「将軍坂」があります。
さてここで問題です!
この壁に開いている○や□や△の穴、面白いですよね。
これはなんのために作られたものでしょう?
正解は…
③の銃や弓を打つための穴
でした😊
この穴は狭間(さま)と呼ばれ、なんと姫路城にはこの狭間が997個もあるそうです。○と△が火縄銃で長四角は弓かな?
この将軍坂を抜けると、切妻屋根の櫓門はの門、そしてその先のにの門にたどり着きます。
にの門は櫓をくぐると道が直角に曲がるような造りになっていて
天井もだんだん低くなり、先を見通せません。
また天井部分からはヤリを突き刺せるような仕組みもあります。
すごいね。姫路城。
簡単には攻略させない仕組みが随所随所にあり、見どころ満載です。
そしてほの門をくぐると、他とは毛色の違う「油壁」に出会います。
他の白い壁は主に漆喰でできていますが、この油壁は秀吉時代のもので
「豆砂利+土+菜種油」で出来ていて、城内には1か所しかありません。
コンクリートのように固く、防火性もバッチリで天守に近いところを強固に守ります。
さてさて、だいぶ天守に近づいて来ましたよ。
しかし、まだまだこれを見ずしては天守には入れません。
それではここで第2問。
この一見なんの変哲もなさそうな石ですが、このネットで囲われた石はななんでしょう?
正解は・・・
②の姥が石(うばがいし)です。
姥が石は、豊臣秀吉がこの姫路城の石垣を作ろうとした時に石が足りなくて困っていたところ、貧しい老婆がこれを使って欲しいと石臼を差し出しました。
喜んだ秀吉は一番大事な天守にこの石を使ったため、人々は我も我もと石を差し出し、事なきを得たと言うお話です。
しかしながら、です。
この石垣は豊臣秀吉よりも後の池田輝政の時代(江戸時代)に作られたものなので、どうやらこのお話は伝説(つまりはウソ?)のよう。
じゃあ、この石はなんなんだ~!?
と気になりながらも、大天守まであと一歩。
はよう、はよう。
はやる心を抑えつつ、次の記事では大天守にとうとう入ります!