宇宙人を子供扱い
「宇宙人、水戸藩に出没」してきた。水戸藩領国の皆さん、見に来てくれた? シーン(沈黙音)。まあそうでしょうね。五流合同の能楽大会だから出演者数はそれなりに多かったものの、9割以上が高齢者。若手と言えば中高生がわずか四人という限界集落一歩手前のようなメンバー構成だったのだ。そのため高齢者の膝にやさしい椅子用見台というものを初めて目にする宇宙人。見台(けんだい)というのは楽譜に当たる謡本を開いて置く木製の台のことで、軽い板を組み合わせて出来ているので解体して持ち運ぶことができる。能の地謡は床に座って謡うので正座の高さの見台が通例なのだが、もはや正座が不可能となったベテラン愛好者のために、椅子に腰掛けた高さに見合う見台というのが作られているのだった。しかもこんなに沢山。連吟の人数分用意したのだな。運営側も大変なのだ。
舞台も珍しかった。宇宙人は素人会でいつも能楽堂を使っているが、この会場は文化会館なのでコンサートや演劇仕様の横長舞台だ。サイズが違うのでどういう空間の使い方をすればいいのか事前に舞台を見て確信したかったのだが、折よく会場入口にはモニターが設置され、舞台の様子を画像で確認することができた。なんと、能楽堂の柱に見立てたミニ柱が四隅に立っているではないか! 腰ほどの高さの角材に土台を付けたものを所定の間隔で配置し、能楽堂の正方形舞台を再現しているのであった。後方には立派な松の木を描いた幕を張って鏡板に見立てている。運営委員が準備しているのだろう。いろんなアイデアが駆使されているのだな。
着替えのために控室に上がる宇宙人。先客の観世流の方々と同席する宇宙人。出番間際でリハーサルをする観世の方々。鳴り物担当の中年女性と中高生の出演者の間で速度確認をする観世の方々。彼らが披露するのは「居囃子」という鼓と謡のセッション演目で、宇宙人は初めて見た。素人舞台とはいえ随分念入りで真剣な打ち合わせをしている。宇宙人の金春流なんて全然打ち合わせていないのだ。いや本当はすべきなのだが、万事ユルイ大会なので厳密に詰めなくていいよ、と付き添いのわが先生が言うので、ユルイまま舞台に挑むことになったのだが……案の定小さなミスをすることとなった。だって高齢者が多くて正座しない人が多いんだもん。自分たちのシテもそのノリで正座しないものと勘違いして、退場のタイミングを間違えてしまったよ。
しかし恐ろしいのは、宇宙人に合わせて左右のお弟子も間違えてしまったことだ。人間拡声器としてお呼ばれした宇宙人は本来は地謡頭ではなかったのだが、結果的に四演目の地謡頭を勤めることになった。地謡頭とは数人で謡うコーラス隊のリーダーのことで、謡や出退場の動作を主導する役割がある。このためコーラス隊は必然的に宇宙人に右へ倣えする格好となり、宇宙人のミスにより全員がミスへ誘導されてしまったのだ。トホホ。事前の話では、水戸教室のベテラン弟子は宇宙人より芸歴が長いので、その人が地謡頭の予定と聞いていた(能の世界は年功序列)。しかし現場で急に「宇宙人に任せる」というから珍しく宇宙人は緊張を強いられたのであった。話が違うじゃないの。
地謡頭は他にも、シテの動きを目の端で追いながら謡い、動きと詞章の文句がずれないよう速度を調整する役目がある。これも宇宙人には初めての任務だが、存外難しい。いつもはプロの能楽師が地謡頭をして宇宙人はそれに合わせて謡うだけだから気楽だが、今回のようにいろいろ課題をこなしつつ謡っていると、いつの間にやら詞章が頭から消えて飛んだりする。地謡頭の謡が途切れると、左右の地謡も「あ、ここはスピード落とすのかな」と忖度して途切れてしまうのだ。危ない、危ない。ひやひやしながら任務を遂行する宇宙人。
どうにか無事に演目を終えた宇宙人。すると廊下で見ず知らずの茨城の運営委員に声を掛けられ、地謡を褒められた。曰く「すごい迫力だねえ!」。ええまあ…大声要員として呼ばれておりますから。運営委員はいずれも白髪のご老人たちで、「番組表に名前がなかったけどシテはやらないのかい」と聞いてきたから、心強い若手県民が現れたと勘違いしたようだ。とても嬉しそうな様子。宇宙人といえば昨今は老いるショックに日々苦しめられる年頃なのに、彼らからすれば子供の年齢に当たる。中高生の出演者らは更に孫の年齢。中高生は四人いたが、宇宙人の年頃の演者はさっきの鳴り物の女性くらいであったから、ここは空白の世代らしい。人員補充しないと後がないというわけだ。厳しい現実の茨城県能楽界なのだ。助けてあげたいが、宇宙人は東京都民であった。
誰か、茨城県にお住まいで能にご興味のある方は、奮ってお稽古においで下さい。宇宙人の先生が水戸教室へ出張しているよ。水戸の他にも金春流以外の流儀で県内にいくつか教室があるよ。茨城県では秋のこの芸術祭の他に、初夏にも水戸で演能会を開催している。年二回の舞台は励みになるよ。しかも行政から補助金が出るから安く参加できる。もし能楽堂で類似の会に出場しようとしたら、もっと高額だからね。零細の宇宙人などそうホイホイ出場できない。子供たちよ、人と同じ事をやっていても横並びな大人にしかなれぬから、能をやって他者との差別化を図るのだ。能をやっているといつの間にか古典の素養がつくよ。教養がつくよ。着物も自分で着られるようになるよ。
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