算命学余話 #R18「宿命と精神衛生」/バックナンバー
大晦日です。皆さん、大掃除はお済みですか。新年を祝う風習は世界各地にありますが、新年を前に大掃除する風習は日本独特のものだそうです。日本独自の精神文化といえば一番古いのは神道です。神道は穢れを嫌う宗教なので、箒やハタキで掃き清めたり、水や炎を使って清めたりして、ヨゴレと一緒に邪気も払うことに特別な情熱を向ける珍しい思想文化と云えましょう。世界の宗教にここまで掃除にこだわる宗教は本当にないのかもしれません。おかげで仏教などの日本に定着した外来宗教もこの風習を引き継いで、大屋根や伽藍の大掃除が季節の風物誌になっているくらいです。
掃除は毎日行うに越したことはありませんが、そうそう時間もないので、年に一度大掃除をするとすればいつか、ということになると、ではせっかく新年を迎えるのだからその直前にということになる。大晦日でなくてもいい。12月中なら「新年直前」と見做されます。
神道の考え方では、新年は各家に神様が降りてくるので、大切なお客様をお迎えするのと同じ感覚で家をきれいに掃除し、おもてなしの飾りや縁起物で歓迎モードにしておくのだそうです。そうでないと神様が気を悪くして訪問してくれず、結果として一年の幸運が去ってしまうのだと。
門前に飾る門松の形は、中央にそびえる竹の先端がとがっていることが重要で、その先端ポイントに神様が降りてこられるのだそうです。随分小さな神様です。妖精ですね。妖精というのは無垢で儚い存在なので、大きな音でおどろかすと怯えて消えてしまうと、外国の妖精話で聞きました。だから森の奥などで偶然妖精を見かけたら、物音を立てず息を殺して見守るのが正しい鑑賞方法なのです。
日本の正月が本来静まり返っているのは、このような儚い神様たちが安心して訪れてくれるよう、物音を控えていたからなのでしょう。爆竹や花火を鳴らすどこかの国々とはえらい違いです。海外には、派手な爆音に誘われてやってくる神様というのもいるのかもしれません。
算命学は神道と無縁のようで、そうでもありません。陰陽五行は自然思想なので、自然崇拝を基礎とする神道とは根本的なところで似通っています。算命学は建前上、古代中国の占星術と呼ばれていますが、以前記事にもした通り、私は算命学が中国で生まれたという説に疑問を感じています。漢字という優れた発明品を生み出したために中国で普及し、世紀を超えて伝承されてきましたが、根本思想である自然思想は例えばモンゴルのテングリ思想に近いし、現在中国の支配下にある辺境の地域にも、中国発祥とされる道教や儒教の影響下に入らない独自の自然崇拝を今も堅持しているところが沢山あります。そうした無名で原始的な信仰や思想に算命学を生む土壌があったと考えても不思議ではない。
それに、そもそも中国という文化が、その優れた漢字文化のために周辺諸国を文化的に席巻し、様々な周辺文化をさも自分のものであったかのように宣伝しようとする、現在にも通じる体質から離れないため、彼らの主張することは九割がた嘘だろうと、個人的には疑っています。中国人が算命学を発展させて現代まで継続させたであろうことは否定しませんが、最初に算命学の根幹思想を見出したのは、もしかしたら遠い昔に中国人に滅ぼされてしまった名もなき民族だったのかもしれません。
さて大掃除の話題に戻りましょう。人はなぜ掃除をするのか。汚いのがイヤだからです。ではどうしてイヤなのか。世の中にはゴミ屋敷に好んで暮らす人だっているではないか。いや、ああした人たちはもう脳みそが虫食い状態なのである。まともな人間ならキレイな方がいいに決まっている…。
好悪の判断は置いておいて、掃除をする理由は、長もちさせるためです。汚れたまま放置しておくと劣化が進んで壊れたり腐ったりします。まだまだ使いたい物ならば、こまめに掃除や手入れをして寿命を延ばしたい。
人間だって同じです。風呂に入るのは雑菌を洗い流して病気から身を守るためであり、家の掃除は空中を浮遊するバイ菌を吸い込まないよう、ホコリやヨゴレと一緒にバイ菌を一掃するためなのです。そういう意味では、乾燥した地域はうるさく掃除を勧めません。乾燥しているとそもそも細菌が繁殖しにくいからです。しかし日本は湿潤ゆえに細菌の繁殖に適しており、病気になりたくなければ掃除と入浴は必須です。それで神道はうるさく清めを唱えるのでしょう。
では人間も含め、物を長もちさせるとはどういうことなのでしょう。今回の余話は具体的な技法の話ではなく、考える訓練を促すためのお話です。
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