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人間を最も不幸にするもの1選!~ラッセル「幸福論」より~
今回はラッセル(BertrandRussell)の書いた「幸福論」から、人間を最も不幸にする原因についてのお話をします。
結論
結論、その原因は「過干渉」です。どういう事でしょうか?
その説明を行う前に、ラッセルって誰?幸福について書いた本なんて書店にいくらでも並んでるけど、他と何が違うの?
そんな事を思う方も多くいらっしゃるでしょうから、まずはどんな人が書いたどんな本なのか?ご紹介させてください。
ラッセルって誰?
「20世紀最高の知性」と呼ばれるほど名高い、世界的な数学者・哲学者であり、ノーベル文学賞受賞者でもあります。
名門ケンブリッジ大学で、哲学の一分野である「数理哲学」の研究に没頭。「数学原理」と呼ばれる世界的に有名な著作を発表し、現代分析学の基礎を築きました。
そんな輝かしい経歴を持つ方ですからさぞかし幼少期から素晴らしい教育を受けてきたんだろうな!と思うかもしれません。
しかし全くそんなことはありませんでした。
幼少期に父母を亡くし、極めて厳しい祖母のもとで育てられることを余儀なくされたラッセル。
この祖母は倹約と勤労を重視する典型的なピューリタン(清教徒)で、その信条に基づいて大変厳しくラッセルを教育したのでした。
寒い日でも毎日水風呂に入れたり、16時までは座ることを禁じたりと理不尽な仕打ちをしたり、勉強も学校には行かせず専門の家庭教師をつけて徹底的にしごきました。
祖母のあまりに厳しい教育のためか、ラッセルは内向的な性格になり、希死観念が常に消えず、あまり幸せとは言えない青年期を送ったそうです。
どんな本?
世界には3大幸福論と呼ばれる、幸福論の古典的名著とされる作品があります。その1つがこちらの本になります。
出版されたのは1930年。出版から100年近くが経とうとしていますが時代の風雪に耐え、今なお読み継がれている超絶ロングセラー作品になります。
出版されては消え、出版されては消え・・・を繰り返しているそんじょそこらの本とはわけが違います。
この本を読むことで、今なお価値が落ちることがない普遍的な知恵に触れることができる名著、って訳ですね。
幼少期に両親を失い、とんでもなく厳しい祖母からスパルタ式の教育を受けるはめに陥ったラッセル。
そんな不幸な出自の彼が、なぜそこから抜け出し人生を楽しむことができるようになったのか?それを本書で明らかにしています。
それでは、内容に入っていきます
不幸な人間3タイプ
ラッセルがいうには、不幸な人間は「罪人タイプ」「ナルシストタイプ」「誇大妄想狂タイプ」の3タイプに分けられるそうです。
それぞれどんな人間でしょうか?
罪人タイプ
ここでいう「罪人」というのは法を犯した人、という意味ではありません。それは常に自分に対して批判を浴びせているような、罪の意識に取り憑かれた人間のことです。
罪人は理想像とありのままの自分の間のギャップにいつも苦しんでいて、常に自己否定の刃を自分の心に向けて何度も、何度も繰り返し突き刺します。
「これじゃだめだ、これじゃだめだ・・・・・!」
「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジのようなイメージでしょうか?
親からのあれをしちゃだめ!これをしちゃダメ!という価値観を押し付けられて、大人になっても心の奥底ではその禁止令に縛られ続けているような人間です。
ナルシストタイプ
ナルシストタイプというのは、自分自身を賛美し、人からの賞賛や承認を求め続ける人間のことです。
承認欲求は人間誰しもある基本的な欲求ではありますが、それが限度を超えてしまうと無気力と退屈をもたらすとラッセルは言います。
また他者の承認を求めてしまうというのは、自信がないことの裏返しでもあります。
なお、「自己肯定感が高いタイプの人」と「ナルシストタイプ」の人は似たタイプの人間と誤解されがちですが、ナルシストタイプの人というのは自分に自信がなく、人からの賞賛・承認がないと自分を認められない存在でもあります。
だから「自己肯定感が高い人」とは全く違ったタイプの人間ということになりますね!
誇大妄想狂タイプ
権力を求め続ける悪どい政治家や、力・富・名声を求め続ける王様・皇帝のようなイメージでしょうか?
力を常に求め、権威を振りかざし人から恐れられることを求める人です。
ラッセルは、「度が過ぎた権力への渇望は人生を不幸にする」とそれを喝破します。
人間らしさのことごとくを犠牲にして1つの要素(この場合は権力ですね)を突き詰めてそれが何だというのでしょうか?と。
不幸な人間の共通点
ここが重要です。不幸な人間の3タイプ、その共通点は何でしょうか?
ラッセルは、「正常な満足を奪われた経験を持つこと」だとラッセルは言います。
言いかえると、「過干渉」と言っても良いでしょう。
それは子供に一方的に価値観を植え付け、コントロールすることです。
現代版「罪人」=引きこもり、か?
こちらは、引きこもり・ニート・不登校の方々の自立支援施設「粋塾」で長年支援を行っている方のお話なんですが
なんと引きこもりの原因は「親による過干渉」という一つの原因に集約できるとのこと。引きこもりの多くが、自己否定に苛まれ、情けない状況の自分を責め続けていると・・・
そうした姿は、まさに「罪人」の姿に酷似しているように見えます。
100年前であれ、現代であれ、大人が子供を過度にコントロールしてしまう事の弊害は変わらないのですね。
ラッセルも、哲学・数学といった情熱を傾けるものがなければ、引きこもりになっていたのかも・・・・?
ラッセルの苦しみ/大人に支配されることの問題
これは著者のラッセル自身が苦しんできたことでもあります。清教徒としてしてこうではないといけない、貴族らしい人間にならねばいけない・・・
こうしなさい、これをしてはダメ、あれをしてはダメ・・・
今の子供達だって、もし親から
沢山勉強して、いい学校に入って、いい会社に入らないと、いい人生を送れない。だから余計な事はやるな、友達とも遊ばずに勉強しろ・・・
そんな風に、ひとつの価値観しか示さず、他の価値観を認めず、ガチガチにコントロールして育てたら、どんな子供が育つでしょうか?
親から与えられた借り物の、それもただ1つの価値観の奴隷となった人間の出来上がりです。その子供が不幸な人生を歩んでいく事は、想像に難くないのではないでしょうか。
おわりに
ここまで、過干渉が人間を不幸にする、ということについて書いてきました。
親に限らず、教育業界の方、福祉業界の方など誰かを管理しなければいけない立場にある方は多くいらっしゃると思います。
立場上、自分より幼かったり、弱い立場の人に向かって、良かれと思ってあれこれと指図をしてしまったり、制約をかけてしまったりすることもあるかと思います。
その全てが悪いわけではありません。
しかし時に、過干渉や相手をコントロールすることの弊害について考え、本当に必要な関わりであったのか?振り返ってみるのも良いかもしれませんね。