自己肯定感を下げる悪魔の正体=「世間体」だった
人目を気にしろ
世間体を気にしろ
恥をかかすな
そのようなことを言われて育った読者の方も多いのではないでしょうか?
しかし、気づいてしまったのです! そう言われて育った方の多くが「世間体が第一」「他人様が第一」という「世間教」に洗脳されていることに。
残念ながらその信仰を捨てなければ、自己肯定感は上がりません。なぜなら、信者は人や世間様を優先しすぎた結果、すでに肯定すべき自分がなくなりかけているからです。
この記事では、機能不全家庭に育った元引きこもりの僕が、心を回復し社会復帰した思考をベースに、脱洗脳のための方法論をお伝えします。
特効薬ではありません。時間もかかります。しかし今日の内容を実践することで、僕は自分をゆがめてしまった思い込みを外し、生きづらさを手放しました。だからぜひ、最後まで読んでみてほしいのです。
そもそも自己肯定感って?
本来の意味とは少しずれますが、この記事ではざっくり
「自分に価値が見いだせない」
「自分を好きになれない」
といった状態を「自己肯定感が低い状態」と定義します。
「世間教」とは?
そもそも世間教とは何でしょう?
自分のことはさておき、世間様、よそ様、家柄など自分の「外側」にある人や組織についてよく考えなさい。そういった、周囲のものによくなじんだ「標準的な人間」になりなさい。その先に幸福があるから……。
といった信仰をもつ宗教です。
世界の中でも日本人の信者数はダントツに多いのが特徴です。
信者はしばしばこのようなことを口にします。
「立派な人間になれ」
「家の名に恥じぬ大人になれ」
「そんなことをしたら恥ずかしいよ」
「そんなことをしたら人からどう思われるか」
「世間教」の信者たちは、同じ信仰で生きることを相手に押し付ける傾向があります。
それは過去の経験から、世間というものによくフィットした「普通の人間」に憧れ、孤独を恐れ、仲間外れになることを何より恐れているからです。
よかれと思って、相手に信仰を押し付けてしまうのです。
母・祖母も「世間教」の熱心な信者だったので、僕は世間や他人の目を気にするよう育てられました。結果として、自分の感情がよく分からなくなってしまった……という過去があります。
なぜ「世間教」に洗脳されると自己肯定感が下がるのか
それは、頭の中に描いた曖昧な「世間の評価」に振り回されて自己肯定感がめちゃくちゃになるから。
よそ様を気にしろ、他人に配慮しろとは言うけれど、超能力でも使わない限り、人の頭の中身など分かるはずがありません。そのためそのとき想定している「他人が考えていること」というのは頭の中の妄想に過ぎないのです。
妄想だから膨らんだり、ぐるぐる頭を駆け巡ったりします。まるで悪魔やお化けのようです。
それに、そもそも「世間体を気にしなさい」という「世間」は、どこからどこまでを指しているのでしょうか?
近所のおじちゃんおばちゃんくらいまででしょうか? それとも同じ町内の人を指している? それは自分と敵対している人も含めている?
範囲が非常に曖昧なのですよ。
そんな、曖昧すぎる言葉でできた脳内妄想を信仰したらどうなるでしょうか? そんなものを人生の中心にしてよいのでしょうか?
いいわけありませんよね?
そんなことをしたら、「他人軸」の軸ブレ人間まっしぐら。
世間の評価しだいで自己肯定感もあっちへ行ったりこっちへ行ったり。
気がついたら自己肯定感なんてボロボロです。
どうすれば「洗脳」は解けるのだろうか
まずは、自分や周りが使っている言葉にくっついた「間違った信仰」に気づくところから始めてほしいのです。
例えば、こんな言葉をよく耳にしませんか。
「みんなもやってるよ」
「普通はこうでしょう」
「そんなの変だよ」
こういった言葉には、
「みんな=世間と同じことをやることが正しい」
「みんなと同じであるのがいいことだ」
という「世間教」の信仰がべったりと張り付いているんです。
あたりまえのように、身の回りにあふれている「言葉」
だからこそ、知らないうちにその言葉にくっついてしまった信仰や価値観に強い影響を受けていることがあります。
よく観察し、洗い落としてあげる必要があります。
観察力をつける、というのが脱洗脳の第一歩です。
洗脳が解けるとどうなるか 目指すもの
脱洗脳した結果、自分本来の感覚を取り戻すことを目指したいですね!
他人はさておき、自分はコレが好き!自分はこう感じるんだ! こう考えるんだ!
まとわりついた余計なものを排除し、素直な心を取り戻せた自分が、
いわゆる
「ありのままの自分」
なのだと思います。
本当の自分、ありのままの自分は、以前よりも「好きだ」って言いやすい。
愛しやすい自分になっているはずですよ。
最後に 本当の自分に出会おう!
ここまで読んでいただいて、難しいと思った読者の方も多くいるでしょう。正直めんどくさいな~。そんな声も聞こえてきそうです。
たしかに地道な作業です。トレーニング的な要素があるのも否めません。
しかし、こうやって言葉にまとわりついている思い込みや価値観を丁寧に洗い流していく作業をすっと飛ばして、自己肯定感は上がりません。
洗脳で歪んでしまった。自分がわからなくなってしまった。そんな「自分」をいきなりハイ肯定してください! と言われても無理な話だから。歪んだ自己像に嫌気がさしているのに、今さらそれを肯定しろって言われても、ね?
だからどうか、言葉にまとわりついているものを注意深く見てほしいのです。頑張って観察を続けてほしいのです。
その先で出会った自分こそがまったく新しい自分であり、この世に生まれ落ち、産声をあげた瞬間の自分なのだから。自分の価値なんて考えていなくても自己肯定感が高かった、あの時の自分に出会えるはずだから……。