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「ウィキペディア・ジャンパー」【掌編小説】

 ウィキペディアを眺めている。
 様々な事柄について書かれているので、ふと思い立って自分の生年の出来事について調べようとした。
「1980年」だが「1980」でも出てくるだろうと横着したところ、数字の「1980」の項目が出てきた。

1980(千九百八十、一九八〇、せんきゅうひゃくはちじゅう)は、自然数また整数において、1979の次で1981の前の数である。
性質
1980は合成数であり、約数は 1, 2, 3, 4, 5, 6, 9, 10, 11, 12, 15, 18, 20, 22, 30, 33, 36, 44, 45, 55, 60, 66, 90, 99, 110, 132, 165, 180, 198, 220, 330, 396, 495, 660, 990, 1980 である。
約数の和は6552。
487番目の過剰数である。1つ前は1976、次は1984。


 数字だけの項目があることにも驚いたが、数字の「性質」とは? 過剰数って?
 下の方にある関連リンクから次に「イチキュッパ」の項目へと飛ぶ。


イチキュッパとは、日本において、小売業が商品を販売する際に広く用いている、消費者の購買意欲を高める心理学的価格決定、端数価格効果の一つである。多くの場合、イチキュッパは198円または1980円であると言う意味で使用されることが多い。また、場合によっては19800円を表すこともある。類似するものに、キュッパ(98円、980円)、ニーキュッパ(298円、2980円)、サンキュッパ(398円、3980円)、ヨンキュッパ(498円、4980円)などがある。消費税込みのものとそうでないものがあり、税込みでないものがあるのは、店側が商品をより安いものであると消費者に思わせるためである。なお、上3桁目より下の位まで表すと、効果は薄れる。(19980)


 感心しながら、次々と項目をジャンプする。世界中にいるウィキペディア・ジャンパーの一人として、無限リンクを辿っていく。開いた項目のことを知り得たつもりになりながら、次へジャンプする前に既に忘れてしまっている。目的は知識の蒐集よりもジャンプの方になってくる。内容を理解出来る項目ばかりではない。試しに開いた「無限」という項目を読んでも無限について分かった気はしない。

「無限」から「ウロボロス」に飛ぶ。自分の尾を飲み込む蛇のイラストがある。

 ノートPCから我が家の和室に目を向ける。四歳の息子が、プラレールのありったけの車両を繋ぎ合わせて、長い長い電車にしている。円にして「蛇の列車!」と言っている。我が家にもウロボロスがいる。

 ジャンプする先を人名にしていく。試しに自分の本名といくつかの筆名を検索すると、ちゃんと出てきた。ウィキペディアはいつの間にやら全人類の項目を網羅していたようだ。しかも読んでいる最中に更新されていく。私の項目に「最近の趣味はもっぱらウィキペディア・ジャンプ」と付け足される。今日始めたばかりのことなのに。

 試しに息子のおもちゃで私も遊んでみる。レゴとプラレールとミニカーと積み木を組み合わせてむちゃくちゃに遊ぶ。遊びながら娘のタブレットでゲームをしながらお菓子も食べる。なおかつレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの曲に合わせて頭を振ってみる。それらが全て私の項目に追加されていく。ウィキペディア編集者にならなくて良かったと心底思う。息子は遊びを邪魔されて怒っているし、娘はいつものようにレイジの曲で踊っている。

 何も打たずに検索してみる。「何もない」という項目でも表示されるのかと思ったが、何も表示されない。項目がない。またウィキペディア・ジャンパーに戻ろうと、思いつく言葉を検索していく。しかしどの項目も出てこない。つい先程読んだはずの記事まで消えている。自分の項目だってもちろんありはしない。ウィキペディアから全ての項目が消えていた。何かやってはいけない行為をしてしまったペナルティのようだ。私はウィキペディア・ジャンパーとしての資格を剥奪されてしまった。

 息子の作ったウロボロスの列車は、消えることなく、ぐるぐると回り続けている。
 ウィキペディアの項目が全て消えても、現物は存在し続けている。
 こういう現象は何というのだろう、とウィキペディアで調べてみる。
 そんな項目はもちろん存在しない。

(了)

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泥辺五郎
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