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耳鳴り潰し219(谷川俊太郎さん、音楽授業参観、鉄琴の音圧)

 谷川俊太郎さんの訃報に触れ、「谷川俊太郎さんへ」を書く。様々な言葉や作品の陰に氏の言葉があったという話。

 午後から娘の参観。この間運動会、連合運動会とあったのだから、そんなに保護者が観るイベントがいるのかな、という気はする。音楽の授業。

 先日投稿した、娘が一年生の時の授業参観の様子を書いた話、過去作「Enter Sandman(Live in Moscow 1991)」あれ、実はフィクションで、実際に授業でメタリカのカバーはしていなかった。

 授業は三階の音楽室で行うというのを娘にあらかじめ聞いていたので、三階に向かえたが、案内表示などなく、案の定遅れてやってくる保護者の方が多かった。三階を歩いていると図書室から娘が出てきたのに出会い、音楽室まで案内してもらう。図書委員の仕事中だったらしい。

 授業開始までの少しの間、生徒達が思い思いに楽器に触れてわちゃわちゃ演奏していた。
 授業開始時にゴンチチ「放課後の音楽室」が流れ、生徒達は一斉に身体をほぐし始めた。いいことだと思う。

 現代の授業の様子を眺めながら、私は自分が小学生の頃の音楽の授業のことを思い出そうとしていた。うまく思い出せなかった。あまり楽しんでいたわけではなさそうだ。おそらく「みんなで演奏」「好きでもない歌を歌う」という行為が嫌だったのだと思う。好きな曲を一人で(後にバンドで)演奏するのがいい。

 歌にしろ演奏にしろうまく入っていけない子がいた。彼もきっと何かに納得してないのかもしれない。「泥辺さん」と突然先生が私の名前を呼んで、何かしなければいけない気になった。もちろん呼びかけられたのは娘の方で、上記のうまく授業に入れない子が、合唱グループの輪に入れていなかったので、近くにいた娘に「○○君を横に入れてあげて」と声をかけたのだ。

 終盤、練習中の曲をグループに分かれて様々な楽器を順次増やしながら演奏していった。キーボード、ボンゴ、マラカス、タンバリン、木琴、リコーダー、とここまでは良かった。娘はリコーダーを吹いていた。次に加わった鉄琴が鳴り出した途端、その高音が私の耳を苦しめた。その前に、リコーダーで高音部を生徒全員で吹いている最中にも怪しいところはあったが、鉄琴の場合は高音低音関係なくその音色自体がアウトのようだった。耳を突き抜け脳髄にまで響いてくるその音圧は、音の拷問装置ともいえた。鉄琴の後はオルガンだけで、演奏の後半でしか鳴らないのが幸いした。キーボードのように、最初から鳴り続けていたら、耐え切れなくて教室を飛び出していただろう。何とか踏みとどまった。

 脳脊髄液減少症発症時に聴覚神経を痛めた影響で、ある種の音に敏感になってはいる。昔から苦手な音はありはするが、それは生理的嫌悪感でしかなかった。鉄琴の演奏会などがあれば、とてもいけそうにない。

 帰宅後、娘は手洗いをしながら何か叫んだり歌ったりしている。おかしな笑い声をあげたり屁をこいたりする。
「授業中全然そんな感じじゃなかったやん。みんなの合唱を聞いて講評した子からも『音程はあってるけど、上パートの人たちの声が小さい』って指摘されてたし」
「ほんままじあれ聞いた時しばき倒したろうかと思った」
 物騒な話だ。

 娘と息子と私の父と、誕生日ラッシュな11月なので、次の土曜日に私の両親とくら寿司に行こうという話になっている。それを受けて息子は「いつか友だちと一緒に行きたいな。カナちゃんとか」と言い出す。楽しいことを友だちと共有したい、と考え始めたようだ。そして一番の相手はカナちゃんであることは変わらない様子。

 今村夏子「木になった亜沙」読了。昨日少し書いた「リミッターを外した文章の方が面白い」ことを思い出す。彼女はリミッターを外した発想の持ち主の代表選手でもある。特に「的になった七未」は圧巻だった。

「今の自分はまるで晩年のようだ」と思いながら筒井康隆「カーテンコール」を読み、レジ待ち小説を考えたところ中村文則「列」を読む。そしてリミッターうんぬんで今村夏子作品に触れた。その時その時に必要な本と吸い付くように出会っている。偶然のような必然のような。

 今日の一枚「二十億光年の孤独」のイメージ画像。


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泥辺五郎
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