
歳をとるのも悪くない〜40になって知った新しい楽しみ〜
今から40年前、私は後に通うことになる小学校のすぐ近く、やや古めかしい雑居ビルの3階にある小さな産院で産声をあげました。
2700gと、やや小さめでこの世に生み落とされた私でしたが、40年の月日を経て、今や身長169cm、体重58Kgにまで成長し、体脂肪率は20%超えと、スリム体型に見せかけてしっかりと懐に脂肪を溜め込むタイプ、「やや肥満」というハンコを押されるまでに至りました。
都会に産まれたとは思えないくらい純朴に育ってしまったせいか、初対面の相手にお金を貸して、そのまま逃げられてしまうなんてこともしばしばありました。
また、お酒を覚えるのが少々早過ぎたせいか、高校2年の期末テスト中、二日酔いで潜り込んだ保健室で所持していたタバコが見つかり、そのまま停学処分なんて事もありました。
つまり、ロクなもんじゃなかったのです。
それでも紆余曲折を経て、なんとか料理人という職に就いた私は、20代後半で運命の人と結ばれ、30代半ばで娘を授かりました。
そして、決して無傷とは言えないものの、なんとか這いつくばって無事に40歳を迎えることができたのです。
さて、私が産まれた1983年は、東京ディズニーランドが開園し、ニンテンドーのファミリーコンピュータが発売され、エースコックのわかめラーメンが誕生した年でもあります。
同級生が大物揃いでとても頼もしく、今なお最前線で活躍していることをとても誇らしく思います。
では、私はと言いますと、40歳、第二の思春期と言われる年代だけあって心にモヤが立ち込めています。
目に映るもの全てに憤りを覚えていた第一の思春期とは違い、今回はとても内省的で、怒りよりも不安の感情が大部分を占めているようです。
さながら、しとしと雨を降らす秋雨前線のようでもあります。
「今までの人生本当にこれで良かったのだろうか」
「違う道を歩んでいたら、もっとゆとりのある生活ができていたのではないだろうか」
そんなことを考えたところで何にもならないのは分かっているはずなのに、破裂した水道管のように、次から次へと負の感情が溢れ出て止まらないのです。
「ならば未来を考えようではないか」
そう思ってもみるのですが、するといつの間にか……
「いったいいつまで働けるのだろうか」
「いつまで健康でいられるのだろうか」
「老後のお金は足りるのだろうか」
という具合になってしまい、結局ドツボにハマってしまうのです。
万事休す。
前も後ろも、右も左も、落とし穴だらけなのです。
それでも、この年になって新しく知った喜びというものもあります。
それは、お気に入りの食器がある生活です。
私はついこの間、自分にご褒美と称し、いくつかのお皿とグラスを購入しました。
どれもふらっと立ち寄った雑貨店のセールで買った安価なものですが、使いやすさとデザイン性のバランスがよく、とても気に入っています。
そのお皿にレンコンのきんぴらや、春雨サラダなど、ちょっとしたツマミをちょこんと乗せて、好きなお酒を一杯クイっとやるだけでじんわりと心が満たされるのです。
いつもと変わらない晩酌でもそこにお気に入りの食器があるだけで、ちょっとした幸せが味わえるなんて、この年になるまで知りもしませんでした。
さらにもう一つ、私は最近思いもよらぬ楽しみを見つけてしまいました。
それは世間を欺くという楽しみです。
先日、私は不安やストレスから逃避したくて、秋の夜長にお裁縫を始めてみました。
針と糸を使い夢中になってチクチクしていると、一時的に不安やストレスから離れることができるから不思議です。
そうして、出来上がったブックカバーがこれ。


自分で言うのもなんですが、初心者にしてはなかなか上出来です。
私はこのブックカバーが大変気に入り、仕事の行き帰りの電車で愛用しているのですが、きっと周りの人からも「なんて素敵なブックカバーなんでしょう」、「どこで売っているのかしら」、「どんな素敵な本を読まれているのかしらん」、などと思われているに違いありません。
しかし、何を隠そう、今このブックカバーの中に潜んでいるのは「屈辱ポンチ」。
愚劣な復讐劇が次々と巻き起こる、町田康さんのなんともアホらしい作品なのです。
この可愛らしいブックカバーの中に、そんなアクの強い本を忍ばせているなんて、この電車の中にいる人は誰も知りません。
そう思うとなんだか世間を欺いてるみたいで、ふふ、ちょっとだけ楽しいんですね。
世の中にこんな楽しみがあるなんて、この年になるまで知りもしませんでした。
どうやら、年を取るのも悪いことばっかりじゃなさそうです。