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ファイト一発、親子丼〜積もる落ち葉のその先へ〜
今日はどうしても和食が食べたい気分だったので、お散歩がてら、隣町にある和食屋さんまでランチを食べにいくことにしました。
隣の街は名前に"山"という漢字がついているだけあって、駅の裏手に小高い山があります。
山と言っても、駅から続いている坂道を15分も歩けば、てっぺんまで登れてしまうような小さな山なのですが、ちょっとした公園があったり、町が綺麗に見下ろせたりするので、この辺りではお散歩スポットとしてわりと知名度がある場所でもありました。
とりわけシニアの方々には人気があるようで、今日も数組のグループが、楽しそうにおしゃべりしながらお散歩をしていました。
和食屋さんは、その山の入り口にありました。
赤い暖簾が目印のこじんまりとした小料理屋さんで、外観はいかにも和食屋といった風情があり、一見、ふらっとは入りずらいような雰囲気が漂っていました。
さらに路面に面した大きな窓には簾がかけられ、人影は見えるものの、中の様子はまったく伺うことが出来きません。
私は一瞬、お店に入るのをためらってしまったのですが、せっかくここまで来たのだからと、思い切って引き戸を空けて中に入っていきました。
私が入店すると、窓際の椅子からゆっくりと女将さんらしき女性が立ち上がりました。
どうやら簾越しに見えていた人影は女将さんだったようです。
女将さんは私を見るなり、なんだか若いもんが紛れ込んできたぞというような表情を浮かべ、エプロンを締め直しました。
カウンターの中には、いかにも和食一筋といった感じの強面の大将が、背筋をビシッと伸ばして立っています。
年は私よりも二回りも上か、それ以上でしょうか、いかにも大ベテランと言ったオーラを醸し出していました。
私が場違いなところに来てしまったのではないかと不安に駆られていると、女将さんは「お好きなお席へどうぞ」と、少しふくみのあるような口調で言いました。
店内にはカウンター席が5つと、テーブル席が2つ。
どこに座ろうかと悩んだ末に、私はカウンターの一番奥、大将の目の前に座ることにしました。
私のような新参者が、いきなり大将の目の前に座っていいものかとも思ったのですが、ほかにお客さんも居なかったですし、お好きなお席へと言われていたので、私は生意気にも特等席を使わせてもらうことにしたのです。
強面のベテラン大将を前にして、私は少し緊張していましたが、私も料理人の端くれだと自分に言い聞かせ、堂々と振る舞うように努めていました。
私はとりあえず気持ちを落ち着けようと、女将さんがおしぼりとお茶を持って来てくれたタイミングで瓶ビールを注文しました。
ビールを待つ間、さあ何を食べようかと食事のメニューを見始めます。
すると、すぐにビールが運ばれてきたので、私は早速それをグラスに注ぎ、喉の奥に流し込みました。
「ああ、うまい。やっぱり昼間のビールは最高だ」
と、いきたいところだったのですが、ビールの味を感じる隙も無く、女将さんが素早く私に尋ねました。
「お食事はいかがなさいましょう」
私はビールを飲みながらゆっくりとメニューを決めたかったのですが、圧の強い女将さんに圧倒されてしまい、ふと目についた名古屋コーチンの親子丼を注文することにしました。
なかなか強烈な女将さんだなと思いながら、ビールを飲み直していると、厨房の中から玉ねぎを切る「トントントン」という乾いた音が響いてきました。
私はその音を聞いた瞬間、まるで警策(座禅の時にお坊さんが肩を叩く木の棒)で肩を叩かれたかように、背筋が伸びる思いがしました。
というのも、その音からは凄まじいまでの包丁の切れ味が想像できたからです。
玉ねぎを切るのを想像していただければわかると思うのですが、通常であれば、包丁は玉ねぎにあたってから、まな板の上に落ちます。
つまり、包丁がまな板にあたる"トン"という音がする前に、必ず玉ねぎを切る"シャッ"という音が一瞬入るはずなのです。
大袈裟に言えば、"シャトン、シャトン、シャトン''。
しかし、大将の研ぎ澄まされた包丁は、玉ねぎの繊維をスパッと鮮やかに断ち切っているために、包丁が玉ねぎにあたる音が一切しないのです。
ビールを飲みながら厨房から聞こえてくる音に耳を傾けていると、常連客だと思われる、とても品の良いおばあちゃんが来店してきました。
すると女将さんは私への塩対応とは打って変わって、「今日はお天気で気持ちがいいですねぇ」と、そのおばあちゃんに明るく声をかけていました。
私はそのやりとりを見ながら、ひょっとしたら私は招かれざる客だったのかなと、少し申し訳ないような気持ちになってしまいました。
そうこうしているうちに、親子丼が出来上がったようです。
長方形の黒いお盆の上には、油揚げと小松菜のお味噌汁、小鉢に入ったひじきの煮物、白菜の浅漬け、そして名古屋コーチンの親子丼が乗っていました。
私はまずお味噌汁からいただきます。
一口目、最初の印象はどこにでもある、ちょっと美味しいお味噌汁という感じでした。
しかし、お椀を置き、ひじきの小鉢に手をつけようとしたその時、鼻の奥あたりに、心地の良い煮干の風味がふんわりと漂っていることに気がつきました。
それはとても控えめで、奥ゆかしいものでした。
鰹出汁のように前面に出てくるような強い風味ではなく、あくまでも縁の下を支えるような、とても健気で慈悲深い風味でした。
これが本当の味噌汁なのかと、感嘆の息を漏らしながら、私は他の料理にも箸をつけ始めます。
ひじきの煮物は、程よい食感を残しつつも、しっかりと味が染み込んでいて、白菜の浅漬は、ピリッとした、唐辛子のアクセントが絶妙でした。
これでは箸休めなのに、なかなか箸が止まりません。
そして、名古屋コーチンの親子丼は、全てが計算し尽くされた逸品でした。
名古屋コーチンのプリっとした弾力、タマネギの適度な甘みとシャキッとした食感、卵のトロトロ具合。
その全てがベストな状態で仕上がるように、具材の大きさから卵の溶き具合、火力の強弱に至るまで、全ての要素が綿密に逆算されていることが一口で分かりました。
親子丼という、とてもシンプルな料理にこそ、技術や経験が大事なのだと、私は改めて教えられたのです。
あっという間に完食してしまうと、私は一口お茶をすすり、すぐに会計を済ませました。
帰り際、大将にご馳走様でしたと伝えると、強面の鋭い目元が、少しだけ緩んでいるように見えました。
その表情はまるで、「お前もここまで来いよ」と言っているような、貫禄のある、余裕に満ちた表情でした。
私に対して最後まで塩対応だった女将さんにも、ご馳走様でしたと一礼して、私は店を後にしました。
お腹が満たされた私は、せっかくなので、山の中を少し散歩して帰ることにしました。
見晴らしのよい高台に登り、乾いた冬の空気を吸い込むと、さっき食べた親子丼の余韻が、まだ胸の辺りに残っていることに気がつきました。
ベテランの作る料理というのは、どうしてこんなに余韻が長いのでしょうか。
まるで、中島みゆきの曲みたいだな、と思いつつ、私の料理人人生は今どの辺りなのだろうと、落ち葉の先に広がる、果てしない青空を見ながら思うのでした。
ファイト!
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