民主主義ランダム・ウォーク
敗戦後のある時期までは、『多数決』と言う方法が、単なる方法にとどまらずに、「民主主義」そのもののように輝いている時間があったのであろう。ともあれ、多数決がなにか理想的な手段であった時代は戦後民主主義におけるある特権的な時間帯で終わってしまったことは確かだし、そもそもそんな認識自体が幻想だったのかもしれない。
多数決民主主義の堕落は戦後日本人自体の堕落と直接結びついている。もはや多数決の正義を信じる者などどこにもいないだろう。つまりだれも他者を信じてはいないことになる。
そこで有効になるものは信者の動員しかない。お互いが同じ宗教の信者のフリをして同意・同情(票)を集めるしかないのである。したがって実を言えば信を置けない他者=信者たちから反感を買うような(政治的他あらゆる)言動は厳に慎まなければならない。つまりわれわれ信者たちは実のところ何も信じてはいないのである。
すべては茶番だ。気が付いた者から一人二人と離脱していく。愚か者と俗物だけが残って虎視眈々と睨み合いを続けている。
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アメリカ人は(市民戦争以外)常に自国外で戦争してきたせいで、おそらくその戦争観が偏りすぎているのだ。空爆で殺される、居住地が戦場になって殺される一般市民などは他人事なのだ。現役の戦争当事国としては特異な存在であることは強調してもし過ぎることはない。二十一世紀の現代においてもアメリカ人が「戦争し続ける」ことに対する心理的障壁をやすやすと越えてしまう理由である。イスラエルには又別の理由がある。
この二国こそが地球上でもっとも平和から遠い国家=戦争が当たり前の国家だということになる。現代人の平和を希求する意識から見れば異常そのものだ。国家の成立事情自体にその原因があることも両者に共通している。(反物質のような)「反国家」の事例として歴史に残るだろう。
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果たせぬ対消滅
のカウンターパートを探して
今宵もランダム・ウォーク
を繰り返す
愛の夢遊病者
偉大なる反国家
おお
われらがアメリカ!
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