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【短編小説】迷える創作者

「先生、どうでしょうか?」
「そうですね。少しだけ気になるところがあります」
 私がプリントアウトした小説の原稿を読み終え、先生はいつもの如く首を横に振った。顔こそ柔和だが、メガネの奥に光る瞳は険しい。ジッと目線を原稿に落とし、もう一回首を横に振った。
 私は、(またか……)と内心ため息をついた。先生は作品に関しては非常に厳しく選定をなさる。今まで私が持ち込んだ作品は100を超えるが、一度だって無条件に「よし」とは言ってくれたことはない。
 なにしろ今世間では大絶賛されている作家、美影優先生や今年の本屋大賞で入選した耶麻彩菜先生も、彼のお眼鏡にはかなわなかったという。
 こう書くと、先生がいかにもあらゆる作品に難癖をつける偏屈親父という印象を持たれてしまうかも知れない。しかし先生は作品をけなすタイプでなく、「もっとここをこうしたらいいのに」と思うタイプなのだ。先生のアドバイスは的確で、私が今ようやく小説家として何とか細々と生計を立てることができているのも、先生のおかげである。
 先生が口を開いた。
「例えば、ここですね。テーブルの上にリンゴが置かれている描写。そう長くもない小説にこのような描写を挿入すれば、何かしらの意図を読者は感じとります。ところがこのリンゴは最後まで話には全く絡まない。これはもったいない」
「先生、お言葉ですが……」
 先生のアドバイスの言葉尻を折るように、口を出してしまったが、先生は柔和な表情を崩さない。議論になることを不愉快と思わず、むしろ楽しんでいる。私もわざわざダメ出しされるのをわかっていながら作品を持ち込むのは、この議論が楽しいからだ。私以外にも何人かの作家、作家志望の人々が、先生の元に赴いたり、原稿をメールで送ったりしているという。皆、気持ちは同じだと勝手に思っている。
「先生、確かにその描写は直接的にストーリーには関係しません。ですが、風景描写の重みが増すことになると考えます。このシーンではテーブルにリンゴが置いてあることにより、この家に生活感が湧いて来ます」
「なるほど。確かにあなたの言うことも一理あります」
 と、先生は素直に認めた。「しかし…」と話を続ける。
「これはミステリー小説です。そしてこの場面は事件が解決する直前にあたります。そこに冷蔵庫にも入っていないリンゴの描写があれば、読者はこれはトリックに使われたに違いないと思う。あるいは、トリックを暴く鍵となるのではないかと」
「それは……」
 何か反論しようとしたが、ぐうの音も出ない。
「しかし実際にはリンゴは何にも関係ない。しかもこの作品は短編小説より少し長いくらいの量です。長編ならば物語に深みを持たせるために風景描写、状況描写を詳細にすることは重要でしょう。しかし分量が少ない中で、この描写はもったいない」
「……」
 的確だと思った。優しい口調だが、理路整然とした話しぶり。そして腑に落ちる納得感。先生がしてくれるのは添削とか、指導とかではなく本当の意味での「助言」であった。助ける言葉。困っている時に、スッと助けてくれる言葉。
「ストーリーの筋も、登場人物のキャラクター性も、トリックも、かなりいいものだと思います。だからこそ、小さなところですが気にして欲しいのです。わずかな描写で、全体のバランスが崩れてしまうことはよくあります」
 と、先生は作品全体を褒めることも忘れない。彼は今は地域の子どもたちの勉強を見ていると言う。恐らくは子ども相手にもこのような感じで助言をしながら褒めているのだろう。実に先生らしいと思った。
 先生と出会ったのは、地域の公園でのフリーマーケットであった。その時の私は小さな出版社の新人賞を受賞し、有頂天になって仕事を辞めた後だった。当然、いくら新人賞を取れたからと言って、それだけで小説家を専業にできるほど世の中は甘くなかった。昼間からやることもなくぷらぷら歩いていると、フリマの開催を知らせるポスターが貼られている。フリマアプリ全盛のこの時代にわざわざフリーマーケットを開催することに興味があった。開催場所に行ってみると、お婆さんが家の食器を並べていたり、お爺さんが骨董品を売り出したりと、各自思い思いのものを出品していた。その中に先生もいた。
「これ読ませてもらってもいいですか?」
 先生は古本を出品していた。もちろんその時の私は目の前の男性を自分がのちに「先生」と言って敬慕するとは思ってもみない。
「ええ、どうぞ」
 私はビニールシートの上に並べた本を手に取った。作者の名を見ると、私のような文学好きは一度は目にしたことのある名前だ。確か十数年前に映画化された作品があったはずだ。ただ大ベストセラー作家という訳でもなく、著作を読むのは初めてだった。
 最初はパラパラとページをめくり大まかな筋を追っていただけなのに、だんだんのめり込んでいってしまった。ページをめくる指に力が入る。はっ、と気づいた時には本の4分の1ほど読み終えていた。立ち読みでこんなに長時間居座るのは実に失礼だ。
「あ、すいません。つい夢中になってしまって…」
「いえいえ、本が好きな人はみんな立ち読みも好きですから。むしろ私は嬉しいです。こんなに読んでいただけて」
 まるで作者のようなことを言う、と思った。まさか本当に作者だったと気づいたのは、次の本を手に取ってみてからだ。手にした文庫本のブックカバーに著者近影とあり、写真が載っていた。私は思わず顔を上げた。著者近影と、目の前の男性を交互に見た。
 無論、写真の方が若い。だが、柔和な笑みなどそっくりだ。著者近影と、目の前の男性が同一人物ということは、この本の作者はこの男性ということになる。私はビニールシートの上に無造作に置かれた本を見渡した。全て同じ作者、つまり全て彼の著作であった。
「こ、これはどういう……」
 確かめたいことが2つあった。一つが目の前の男性が本当に作家であるかということ。もう一つは、それならばなぜ自分の著作をこんな無造作に売りに出しているかということ。
「いやはやお恥ずかしい。お察しの通りそれは私の作品です」
 と、男性は答えた。その瞬間、私の中で彼は「男性」から「先生」に変わっていた。
 私はさらに問いを重ねた。つまりなぜ作品をフリーマーケットに出すのかということである。
 先生は答えた。
「作家を引退しようと思いましてね。今までの作品とも決別しようと思い、こうやって売りに出しているんです。なんならお金もいりません。もし気に入ったものがあればご自由に持っていってください」
 まさかその言葉に甘えるわけもいかず、本はしっかりと代金を払って購入させてもらった。そして先生に、自分も作家であることを告げて助言を求めた。
 以来、月に1・2度先生の元を訪れては、今日のように先生に助言を貰っている。
「先生、またお書きになりませんか?」
 先生との出会いの日を思い出したせいだろうか。私はふとそんな提案を口にしていた。先生はびっくりしたように目を見開く。こんな表情の彼を見たのは初めてだ。
「い、いや。私はどうにも……。もう作家を引退したジジイです。今さら何も書けませんよ」
 そう先生は呟いたが、目の底に何か光るものを感じた。私たち作家は、常に創作の意欲を心の奥底に宿している。職業として作家を辞めたとしても、心は別だ。私は先生の中にまだまだ創作の意欲は残っていると感じた。
「先生、少し差し出がましいことを申し上げました。でも、私はお会いしたあの日から先生の作品のファンなのです」
 そう言いながら私は立ち上がった。もう外が暗くなり始めている。高齢の先生に負担をかけるわけにはいかないし、先生の奥様にもご迷惑がかかる。
 玄関先まで見送ってくれた先生に挨拶を告げて、自宅へと戻った。先生の助言によっていくぶんか成長した作品を編集に回さないといけない。さて、まだまだこれから。いい作品にするぞ、と意気込んだ。



「読ませてもらいました。実にコンパクトな良作だと思います」
 ズーム打ち合わせで、担当編集はそう評した。「コンパクトな作品」というのは褒め言葉なのか一瞬迷ってしまう表現だが、彼にとっては100%の評価なのだ。スマホで片手間に小説を読む時代。無駄に文字数の多い作品よりも、ストレスフリーでコンパクトに読むことが重視される。この動きに疑義を唱える作家もいると聞くが、私は時代のニーズに応えていくのも大事だと思う。
「ありがとうございます」
 と、私は画面に向かって頭を下げた。これも先生の助言のおかげだと思った。ちなみに先生にいろいろと作品のアドバイスを受けていることは担当編集も知っている。流石に彼は出版社勤務だけあって先生の著作もある程度読んでいた。編集者に相談するより先に、他の作家に相談していることを、彼は不快とは思ってないらしい。「いい作品ができればそれでいい」というスタンスは賛否あるだろうが、私はありがたかった。
「あ、そういえばご存知ですか」
 と、いきなり担当は雑談を振ってきた。聞けば、先生に関することだ。
「今、新しい作品を執筆中とのことですよ」
「本当ですか!先生が」
 画面越しだというのに、私は身を乗り出した。編集は大きく頷く。
「やはり久しぶりなだけあって感覚が取り戻せないところもあるようですが」
「それは確かに。感覚の衰えのようなものもあるかもしれません」
 彼はまだ若く、先生の担当だった時期はない。しかし先輩や上司の中にかつて先生を担当していた人がいて、その人づてで聞いて来たらしい。
 その後、編集と次の作品のことなどを取り止めもなく話をし、ズーム打ち合わせは終了した。
 今日は見せる作品はないが、先生のもとに行こうと思った。新作を書いてくれるのはファンの1人として心が躍る。先生の作品を楽しみにしている人は私だけではないはずだ。
「ああ、来ましたか」
 私が自宅を訪ねると、先生は庭の植木をいじっている最中だった。すぐに玄関に回って来て、出迎えてくれた。いつも思うが、先生は高齢だというのに、機敏に動く。いつもお茶まで出してくれるが、それも先生が自ら注いでもって来てくれる。
「先生、お噂を聞きました。新作を書かれるそうですね」
「いやはやもうご存知とは。全くお恥ずかしい。この間、君が家に来てくれた時に『また書かないか』と薦めてくれたでしょう。あれが何というか、きっかけになりました」
 照れくさそうに頭をかいた。先生は私の言葉がきっかけだと言ってくれたが、恐らくは前々から書きたい欲はあったのだろう。何かを完全に絶ってしまうのは難しい。作家にとっての小説とは、作品とは、創作とは、そういうものなのだ。
「もしよければ」
 と、先生は奥から紙を持ってきた。パソコンで書いたものを印刷したのだろう。原稿であることはすぐに分かった。
「先生、拝読させてもらってもよろしいのですか?」
「もちろんです。まだ途中のものですが」
 まだ先生が発表していない最新作。しかも数年のブランクを経たものを私が1番早く読めるのだ。緊張で唾がうまく飲めなかった。原稿を顔に近づけて、舐めるように読んでいった。
 面白い。やはり、面白い。都会でうまくいかなかった若者が、ある日老人と入れ替わるというコメディSFである。高齢であり、しかもブランク明けでありながら、かなり挑戦的な内容だ。ただしやはり若者の描写には苦戦しているようで、実際の若者がこれを読んで共感できるかは微妙だ。ここは少し改めた方がいいと、率直に思った。
「いや、先生、流石です。しかし途中というのは…?」
 原稿用紙の中の作品は、オチまでしっかりとしている。変なところで切れている訳ではないし、文字数も申し分なく、とても途中までとはいえない。私の問いに先生は頭をかいた。
「いえ、まだ途中です。今まで私があなたにしていたように、今度はあなたが私に助言をください。そうしてはじめて私の作品は完成します」
 先生の顔を見ると、はにかんではいるものの、真剣そのもの。そこで私は悟った。
 先生もまた人の助言を求めている迷える創作者であることを。
「では、先生。恐縮ではありますが、この主人公と老人の会話シーンではーー」
 私は語り出す。先生はメガネを持ち上げ聞き入った。

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