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#137 桃太郎電鉄教育版をプレイさせた結果

クラスにゲーマーの友達がいた。放課後は彼の家に集合して、日々ゲームに興じる我々。その日のゲームは桃鉄であった。トップを独走するのはE君。総資産はみるみるうちに十億を突破。そんなE君に悲劇が。貧乏神が取り憑いた瞬間、あっという間に借金をこさえたE君は、「こんなゲームやってられるかあああ!」、と泣きながら家を飛び出して、その日はもう戻ってくることはなかった。小学生ながら、悲喜交々を感じた一日。

そんな桃鉄を教育版として、学校でプレイできる日が来るとは!貧乏神システムは不採用なのでE君も安心してプレイできるし、誰も教室から飛び出さない。補欠にいった学級で桃鉄をやらせたら、やはり狂喜乱舞。私はこの時に、ゲームフィケーションの真髄を見た気がした。そこには、児童が主体的に学習に臨む態度があったのだ。以下、四十五分内の観察の一部である。

「一億円の物件の一%が収益だと儲けにならん。だから買わない。」(四年生で割合分かるの?)、「千万の位の次が億になるからね。」(算数の復習しとるやん)、「ここの目的地、うちのばあちゃんち。結構距離感あるわ。」(俯瞰的なものの見方を獲得)、「わんこそば食べたことあるわ。有名なんだ!」(特産品の勉強になっている)。

補欠でやらせてるわけだから、正直なところ、ねらいもくそもない。しかしながら、ここには学びが確実に存在した。目的は後からこじつけてもいいのだ。実際のところ、一時間では全然足りない。もっと飽きるくらいやらせたい。そして何を獲得しているのか、じっと観察したい。それを集約して、振り返りで共有したらきっと大きな学びに昇華するはずである。

楽しくなければテレビじゃないと言ったのはフジテレビ。言い得て妙、楽しくなければ学びじゃないのだ。ゲーミフィケーションの効果は絶大である。そもそもその筋のプロが作っているわけだから、我々の教材作成の比ではないのだ。使わない手はない。やり方が分からないとか言っている場合ではないのだ。

最近は物件編集のアップデートがなされたとか、なされるとか。これを活用すれば、プレイの中に自分の学習を反映できる。今後ますますゲーミフィケーションの効果が検証されていくはずである。情報をキャッチアップし、実践していく態度が教員に求められると思う。友達の家を飛び出したE君も、桃太郎電鉄教育版をプレイしたら、きっと知的好奇心の向こう側に飛び出していっただろう。

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