チームでチームジャーニーを読む 完結編
それぞれの持ち場で。がんばれ、だよ。
チームでチーム・ジャーニーを読む取り組みを始めたのは、まだ桜が芽吹いてさえいない季節だった。
12話を読み終えたタイミングでひとつ記事を書いたが、それから約一ヶ月。ついに16話に、最終話にたどりついた。
最終回を終え、なんともいえない感慨がこみ上げてきた。チーム・ジャーニーという本自体から学び取ったものも果てしなく大きいが、それ以上に読書会スタート時点と同じでありながら、同じ地点には留まっていないチームがそこにいたのだ。
太秦とともに進む
この読書会を始める前後で、我々のチームからエースが抜けた。
技術力が高く、ほがらかで、面倒見がよいそのエースが抜けた穴は実務的な面はもちろんだが、チームのメンタル面に大きな影を落としていた。
そう、第一話の太秦(本書の主人公)のように、我々は「自分たちにとってチームとは何か」を問い直すタイミングだったのだ。
期せずしてリモート
一話、二話と読み進め、気がつけば桜が見頃になりつつあった頃。私たちの会社もリモートワークへと移行した。
このリモートワークへの移行が急峻であったため、書籍を家に持ち帰れずしばらく読書会に参加できないメンバーもいた。
それでも、少しづつでも読み進めることを選んだ。また、本を読んでいない人でも見学で参加することを促していた。
市谷さん登場
連休明けには、なんと著者の市谷さんが読書会に参加してくれた。著者に直接質問できるという貴重な場で、メンバーたちから真摯な質問が投げられる様はなんだか感動的だった。
あらためて、市谷さんには感謝してもしきれない。
アジャイルネイティブの衝撃
チーム・ジャーニーは様々な課題がチームにふりかかる。
POとチームの分断が立ちはだかる回で、新卒2年目のメンバーが口を開いた。
「こんなふうに分断している現場、本当にあるんですか?お互いに仕事しづらいんじゃないですか?」
衝撃の正論である。
このピュアな気持ちを大切にしたい反面、彼が脂っこい現場と相見えたときにどうなるのか、少し不安がよぎった。
それは禅問答のようなもの
チーム・ジャーニーが後半にさしかかるころ、我々チームもなにかが変わってきていた。
それまで、なんとなく成果は出ているが自分たちのコミットメントは達成できない日々が続いていた。
外からの期待には応えていたのであまり問題視していなかったが、ついにチームの内側から声があがる。件の若者だ。
周囲の期待を超えているなら、自分たちを高められるのは自分たちだけだ。なんとかコミットメントを達成するために動き始めた我々は、ちょうど12話を読み終えたあたりから如実に変化していた。
ついに踊り場を脱しコミットメントを超えられるようになったころ、15話を迎えた。
答えがどこにもない状態で、それでも答えを探す。我々の、ソフトウェアエンジニアの仕事は禅問答のようなものだという意見が出た。
問を持つ
そして本日、いよいよ最終回を迎えた。
仮説の多様性をもつにはチームはどうあるべきか。
答えではなく、問から考えるためには。
最終回はこの2点について議論した。自分たちなりの「答え」、問を掴んだときには感慨がこみあげてきた。
チームでチーム・ジャーニーを読んだ
チームで、正確にいうとチームと、手を上げてくれたチームの外側にいる人たちとチーム・ジャーニーを読んだ。
自分以外の視点からくる気づき、対話を通した学びの深堀りは得難いものだった。
なにより、この期間(まさかまた感染者数がぶり返すなんてね。世の中は不確実性に満ちている)を通して、太秦のチームと軌を一にして我々のチームは変化していった。
チームでチーム・ジャーニーを読む意義はここにある。チームが、ジャーニーするのだ。4ヶ月前とは同じであって、同じではない。
改めて、このような書籍を世に出してくれた、そして読書会もサポートしてくれた市谷さんには感謝が絶えない。
これからチーム・ジャーニーを読もうという人には、チームで読むことを強く薦める。
それぞれの持ち場で。がんばれ、だよ。