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腰痛の仮説的治療論



 腰痛は簡単に治せると題して、腰痛の原因と治療法とその実践方法を説くにあたり、「医学原論」を武器に腰痛を私なりに論理的に解明すると目標を掲げ、腰の仮説的常態と腰痛の原因、そして仮説的病態論まで説明しましたので、今回はそれを踏まえて腰痛の治療論を展開してみたいと思います。

腰痛の仮説的原因の要約


 腰痛は簡単に治せると豪語したのには理由があります。それは腰痛の原因がシンプル極まりない当たり前の事だったからです。
 その腰痛の原因については、前々回の記事「腰の仮説的常態から腰痛の原因を解明する」にて説いていますが、要約すると以下です。

 腰痛の原因は上半身の重さを支えられなくなった事であり、それには二重構造がある。一つは支える力の問題であり、もう一つは支え方の問題であるとし、主な原因は後者の支え方である事、そしてその支え方にもさらに二重構造があり、一つは腰の支え方、もう一つは上半身全体の支え方があり、二つの支え方を改善しなければ腰痛は完治しないと説いています。
 今回はタイトルの通り、腰痛の原因に対する治療論がメインテーマとなります。

 前回も「医学原論」を導きの糸として腰痛の病態に踏み込んで行きましたので、今回も「医学原論」を導きの糸とし、腰痛の治療論に仮説的に踏み込んで行きたいと思います。

腰痛の根本療法と対症療法


 まず、腰痛の根本療法と対症療法についての私見を述べますが、根本療法にあたるものは上記の腰痛の原因からは上半身の重さの支え方を改善する事、もしくはその指導が根本的治療になると考えられます。
 では対症療法とは何に当たるのかというと、取り敢えず痛みをやわらげる事、例えば湿布、電気治療、マッサージ、鍼治療、痛み止めの薬、などです。
 こられの対症療法を施しただけではなんの根本的解決にもならず、また再発してしまうだけではありますが、決して意味のない治療ではありません。むしろ必要な治療であると私は考えています。
 何故ならとにかく今の痛みを取りたいと思うのが人情というものですから。
 それに私は両者を上手に組み合わせる事でより見事な治療になる、つまりより見事に腰痛を完治させる事ができると考えているからです。

 では、これらの根本療法である上半身の支え方の改善、および指導と、様々な対症療法について、「医学原論」を導きの糸として私なりに踏み込んでみることにします。

腰痛の一般的治療論

 まず「医学原論」には「治療論はまず大きく、次の二重構造に分けることができる。
 一つは、いかなる病気にも必要な「一般的治療論」である。二つは、病気の特殊性に対応した「特殊的治療論」である。」
と説かれ、その後に
 「すなわちいかなる病気の治療も一般的治療に重ねて病気の特殊性・個別性に対応した、特殊的治療を行っていかなければならないという事である」
 と説かれています。

 この論理を腰痛の治療に当てはめてみましょう。そもそも一般的治療論とは何なのかと言うと「医学原論」には「新鮮な空気、暖かい陽光、質のよい水、バランスのとれた食事、十分な睡眠、適度な運動、そして良好な人間関係」と説かれています。
 もちろんこれらの全てが大事なのですが、腰痛に関して言えば特に大事なのが「十分な睡眠と適度な運動」ではないかと私は思いました。何故かと言えば、直接に上半身を支える力に繋がるからです。
 具体的に言えば睡眠が不足していればそれだけで上半身を支える力に影響をきたしますし、運動が足りなければ上半身を支える力も衰え、また支え方すら忘れてしまいかねないからです。
 例えば、良く背筋を鍛えるといいと指導されたり、スクワットをしてみたら腰痛が治ったという経験談もありますが、これはここでいう「一般的治療論」の「適度な運動」に該当するものだと考えられます。
 しかし、その運動では支え方を覚えておく、あるいは忘れないという程度の取り組みにしかならないと言えるでしょう。
 軽度の腰痛ならばそれで痛みは治まるかもしれませんが、やはり根本原因を解決するにはあまりにも非効率的であり、根治には至らず、運動をやめたらすぐに再発してしまうと言えるでしょう。
 つまり、もっと簡単で効率が良く、時間も掛からない方法があるという事です。
 これらはほんの一例ですが、考えるときりが無いほど無限的に出てきます。なのでここでは最低限の説明とし、先へ進みます。

腰痛の特殊的治療論
 

 次は特殊的治療論とは何かと言えば「医学原論」には「病気というのは一般的には生理構造の歪みと言えるが、その歪みは、正常な生理構造のどこが、どのように、どの程度歪んだのかによって特殊性をもち、さらには、病人それぞれの個別性を有することになるので、その特殊性・個別性に対応した特殊な外界との相互浸透をさせることによって、回復へと促していかなければならない。
 特殊な外界との相互浸透とは、例えば薬剤の投与、酸素吸入、点滴、手術であり、これらを理論的に説いたものが「特殊的治療論」となるのである。」
と説かれています。

 早速私の手に負えないような展開となってしまいましたが、私のできる範囲で腰痛の治療に当てはめてみましょう。
 腰痛の原因は上半身の重さを支えられなくなった事なので、その治療法は上半身の重さの支え方を改善する事、もしくはその指導となります。
 そしてこれは特殊的治療にあたるのではないかと考えました。
 その理由は腰は運動器官としての一般性と特殊性をもっているので、その腰の病の治療法も一般性と特殊性を持っていると考えられます。
 その特殊性にあたるのが、上半身の重さを支えるという事だと思ったからです。
 
 さらに上記の「医学原論」からの引用文には、「どの程度歪んだのかによって特殊性をもち・・・」と説かれています。
 このどの程度歪んだのか、とは腰痛の生成発展を表しているのではないかと考えています。
 これについて、前回の腰痛の仮説的病態論にて、腰痛にも「過程的構造の論理」がものの見事に該当し、一般的には機能の歪みから実体の歪みへと生成発展していくと述べました。
 解りやすいように番号をつけて再度引用します。

①生理構造としての機能が歪みかけている段階
②生理構造としての機能が歪んでしまった段階
③生理構造としての実体が歪みかけている段階
④生理構造としての実体が歪んでしまった段階

 私なりに砕いて説明すると、上記の各段階に応じた特殊的な治療法があり、それを一般的治療の上に重ねて治療しなければならないという事だと理解しましたが、具体的に腰痛の治療で説明するとどうなるのか考えてみましょう。

腰痛の各段階における特殊的治療論を考える

 まず①の生理構造として機能が歪みかけている段階ですが、簡単に言えば腰痛の初期症状がで始めた段階であり、「最近どうも腰が痛いんだよね」と言うような段階です。
 
 ではまずは一般的治療ですが、進行すればするほどより厳密にならなければなりませんが、これはどの段階ににおいても必要になります。なのでこれ以降は全て一般的治療を前提としての説明となりますが、この段階での特殊的治療とは湿布、電気治療、あるいはマッサージ、もしくはコルセットを着用する、ストレッチなどの腰痛体操が一般的だと言えるでしょう。
 本来ならここで特殊的治療として、上半身の支え方の二重構造を、症状に応じて改善、もしくは指導ができれば解決となるのですが、経験上その事には指導はなく、ほとんどが対症療法のみで済まされてしまいます。
 当然に初期であればあるほど治療は容易いので、この段階で治療し予防する事が理想なのですが、そうはならずにゆっくりと、あるいは急激に次の段階へと進行してしまうのが大半です。

 では②の生理構造としての機能が歪んでしまった段階ですが、この段階も当然に一般的治療を前提として、特殊的治療を重ねていかなければなりません。
 (特殊的治療として)一般的にはマッサージ、整体、鍼治療、痛み止めの注射や薬剤の投与などが行われる事になるのではないでしょうか?
 この段階だとぎっくり腰などの症状がある場合も多いので、まずは激しい痛みをやわらげる事が優先的となり、それと併せて根本療法である上半身の重さの支え方の改善とその指導をより厳密に行うのが理想的だと思いますが、一般的には痛みがおさまるまでは安静にし、治ったら適度な運動を、というアドバイスとなるのではないでしょうか?
 そうしてついに実体の歪みにまで進行した段階が③以降の段階です。

 この段階まで来てしまうと特殊的治療としては主に外科手術とならざるをえなくなり、しかも厄介な事に手術しても治るかもしれないし治らないかもしれないというなんとも言えない状況です。
 これは何故かというと、仮説に過ぎませんが腰痛に関しては外科手術は結果に対する対症療法に過ぎないからではないかと私は思っています。
 しかし既に述べているとおり、これは必要な治療である事には変わりありません。特殊的治療として絶対に必要な事だと私は考えています。
 もはやここまでくると手遅れの感はありますが、希望を捨てるには早過ぎます。
 何故なら手術をする事で取り敢えず痛みは緩和されるので、ここから一般的治療を前提として根本療法を行っていけば良いのです。
 即ち「上半身の重さの支え方の改善と、その指導」をより厳密に行っていけば完治する可能性はまだまだあります。
 しかしそれができる先生がどの程度いるのかは、正直なところ解りません。一般的には絶望と言って良いかもしれません。
 なので、せめて私の記事が力になれればとの想いで今も記事にしています。どうか腰痛に悩む方の目にとまることを願っています。

慢性腰痛の治療法は一つなのだろうか?


 以上、「医学原論」を導きの糸とし腰痛の治療について踏み込んでみました。結論としては、上半身の重さの支え方の改善、およびその指導は、あまりにも簡単でささやかなものであったため、これを治療と言って良いのか?との想いがありましたが、これはやはり治療と呼べるものだと思える様になりました。 
 そうなると、これは一般的治療となるのか、特殊的治療となるのかで悩みましたが、上記の通り特殊性があると考えましたので、現時点では特殊的治療であると考えています。
  
 また、前回、全ての慢性腰痛の原因は一つであると述べましたが、それに対して全ての慢性腰痛の治療は一つなのかと考えてみたところ、中心となる治療は一つだが、それを補助する治療法は症状により選択する必要がある、と言えるのではないかと考えています。
 そこを判断するのが専門家の仕事なのかもしれません。

 しかし、こうして「医学原論」を引用してみるとそのスケールの違いに圧倒されてしまいました。
 例えるなら私のは辛うじてギリギリ生活できる程度のほったて小屋、「医学原論」は正に立派な巨城、何もかもスケールが違い過ぎたと、私など下町から憧れて仰ぎ見る一般市民に過ぎないと思わされてしまいました。
 余談ではありますが、私もいつかは私の専門とする分野にて、他分野に誇れる城を築いてみたいという想いに駆られました。
 
 腰痛の仮説的治療論としては以上となりますが、次回は腰痛の治療法の実践についての展開となります。
 皆さんも治療が難しくなる②以降の段階に生成発展する前に、自らの主体性で悪しき生々発展を食い止めて欲しいと願っています。



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