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幸せについて考えてみる

幸せとは心の健康である

 少しあれこれと考えてみたのですが、幸せとは心の健康ではないかという結論(まだ仮説段階ですが)に至りました。
 逆説的に心が不健康、不健全であれば幸せにはなれないのではないだろうか、という事でもあります。
 心と一口に言っても正確にはココロ(感性)とアタマ(理性)は脳の働きによるものなので、同時に働くもので、どちらか一方の問題ではないのですが、今回はアタマ(理性)は考えないものとしておきます。
 この筋で考えてみると、色々な事が腑に落ちるのです。

心が不健康だとどうなるのか

 例えば鬱病や異常犯罪(未成年も含む)などは心からくるもので、幸せな人はそうはならないのではないだろうかと思えるのです。
 他には社会と関わるもの、例えば宗教、マルチ商法に代表される各種詐欺、これらに騙される人も、心からくるものではないだろうか、つまり心が不健全だから騙されるのではないだろうか、という事です。
 これらの社会と関わるものについては、ココロ(感性)だけの問題ではなく、アタマ(理性)の問題でもあるので、一概には言えません。
 つまり心は不健全でも理性で詐欺だと見抜ける事も十分すぎるほどあります。
 一方で、頭は悪くても心が健康であれば騙されないという事もあり得ます。

マルチ商法を例に説く

 マルチ商法を例に説くならば、私もマルチ商法に勧誘された時には、お金欲しさよりもそういう事でお金を稼ぎたくない、という思い(感性)が先にありました。
 逆に騙される人は、お金に目が眩んだ結果、正常な判断ができなくなってしまったのかもしれません。
 両者の違いを心の健康という点からみると、お金に目が眩んだ状態は不健康である、という事になります。

 このように考えてみると、心の健康とはどういう状態が朧げながら見えてきたのです。
 そして心が健康であれば、鬱病や各種詐欺に騙される事をある程度予防できるのではないかと思うのです。
 例えば理性が未成熟な人(例えば未成年)でも心が健康であれば鬱になったり騙されたりしにくいのではないだろうかと思えるのです。

心が健康だとどうなるのか

 ここで冒頭の幸せとは心の健康であるという仮説に戻りますが、幸せならば心が病まないと思うのです。
 そして幸せならば心に隙が生じにくいと思うんです。心の隙とは例えば様々な不安です。ここに宗教や結婚詐欺がつけいってきます。
 あとは欲です。上記のマルチ商法で説明した通り、幸せであるならば必要以上にお金を求めないのではないだろうかと思えるのです。 

健康な心とはどういう状態か

 ここまで幸せとは心の健康であるという仮説に基づいて説明してきたのですが、ではその心の健康とは具体的にどういう事なのか、が次に問題になります。
 これについてもまた仮説に過ぎませんが、楽しかった子供時代を思い出して下さい。
 あの心の状態が健康な心の状態だと思います。子供時代は幸せだったと思いませんか?
 中には不幸にもそう思えない人もいるかもしれません。私もそのうちの一人ですが、それでも参考にはなりますので、楽しかった時の事を思い出してください。
 あの時の心が健康な心の状態なのです。


どのようにして心が不健康になっていくのか

 ではどうして心が不健全になっていくのか、が問題となってきます。
 これについては対象が無限的に広過ぎて一概には言えないのですが、たった一言でまとめるならば社会からの悪影響の一言に尽きるかもしれません。
 例えばマスコミ、インターネット、漫画やアニメ、映画、ドラマなどのフィクション、音楽などの下らないエンターテイメント、テレビゲーム、他はSNS、などの悪影響によるものが大きいと思われます。
 これも仮説なのですが、健康な心というのは社会からの悪影響を受けていない、素材のままに近い心なのかもしれません。

 
 今回は幸せとは心の健康であるという仮説に基づいて、どういう状態が心の健康であるのかを説きました。
 次回は幸せとお金の関係について説き、その次に幸せと鬱病、宗教について説く予定です。
 


  



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