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【Shake it off. vol.091】 “ゆったりカルチャー廃止”の“撤廃”の先にあったもの

気がつけば、2月最終日。

月末も月末で処理に追われている方々も多いはず。(ちゃんと私もその中の1人です、おつかれさまです。)
確かにここ最近暖かい日が続いているし、洗濯物も良く乾く。(ことが嬉しくって、どんどん洗って干していると布がクリーンになるのと同じように私の気持ちもクリーンになっていく感じがするから大好きだ。)
先週仕事で伊豆へ行ってきたが、河津桜がちらほら咲き始めていた。(今年はかなり遅いと聞いたが。)

どこかで春の訪れを嬉しく思いながらも、時の流れの速さに翻弄されそうになったりする。
だってこの前2022年を迎えたと思っていたのに、もう1/6が終わるのだ。



60日間ゆったりゆったりすると決めて



去年の今頃の私は、仕事が閑散期なのに加えパンデミックの影響をまだまだ受け続けていたということもあって何かと焦っていた。1人の時間が本当に辛くって、でも外に出る気にはまだまだなれずどうしようどうしようと思考をぐるぐるさせては勝手に疲弊していた(頭だけ)。

この状況、今思えば現実を受け入れられていなかった、以上!ということだろう。時間があるということを“人生退屈”と思えることはまたとないチャンスなのではないか?と今なら思える。

だから今年は60日間、ゆったりゆったりすると決めたのだ。



とは言えやらなきゃいけないことは何かとあるもので。



それらはもちろんこなしていく必要があるけど、極力自分は動かずやらなきゃいけないことと求められることに対してのみ答えていくしやり抜くスタイルを貫抜く。後の空白の時間をとにかく今までやりたかったけどできなかったことに注ぎ込んだのだ。

例えば一日中YouTubeを見る。
とか、
本を読み漁る。
とか、
音楽をディグり続ける。
とか、そんなことだ。



その程度のこと。



そんな事さえ私は今まで不安で怖くってしてこられなかった。(このそんな事ということが、いかに人生に潤いを与え必要かを今回痛感したわけだけど。)

時間ができれば何かを学ばなくっちゃという気持ちになり、難しい本に手がついついいってしまったり、仕事がないと不安で電卓を取り出しては計算を始めてしまったり、snsを開けばこんなこと始めました!とかこんな素敵な場所に行きました!なんていうキラキラした(ギラギラした)投稿を見てはより焦るし疲れる。

何かしていない自分がダメな人間だと思っていたし不安でしょうがなかった。未来に対して、自分に対して。

兎に角自分で勝手に娯楽なんてもってのほかだ!と言わんばかりにゆっくりカルチャーを廃止し続けたのだ。

これらがもたらしたものは自分を無くさせる行為で、強いて言えば無。何も無くなった。



退屈を受け入れて見えてきたこと



そんな自分を受け入れることがこの期間の目的だったのかも知れない。
こんな堕落した自分、許せない。
そう今までは思っていたことを、自らが進んでやるのだ。

やってみて気づいたことは、
①こんなにガッチガチに自分を縛り続けていたんだ、ということを実感したことに加え、
②これはいつから身についてしまったのだろうと過去を深掘りしてみたものの、そんなものどうでもいいや!だったらもう今からを変えていこう!
という極めてシンプルな2つ。

1つ目の気づきは私にとって大きなことで、自分を俯瞰できたからこそガッチガチに縛り付けられた私をワタシが見ることができた。俯瞰しなければ鎖にはもちろん気が付かないし、それが自分の仕業だったとは絶対に思えなかっただろう。

誰がそんな無意味なルールを?
誰がそんな評価を?
誰がその鎖を縛りつけた?

これら全てが私の仕業だったのだ。
もうどっひゃーだ。



2つ目の気づきは自分をとっても楽にさせ、フワッと軽くもさせた。今までの根深い癖で思考を深ーいところまで潜らせてああでもないこうでもないと仮説を立てては思考の沼にハマっていく。そんな自分も嫌いではないけど、気がついた頃には深く潜りすぎて穴から容易には出られない場所まで来ていた、なんてこともしばしば。



それが急に“そんなのどうでもいいや!の抜け道”を見つけたものだから自分でもびっくり仰天。



“そんなのどうでもいい”
=今までの私からしたら放棄で堕落でダメ人間そのものだったから。

この気づきは感動。
初めまして私!というくらいに。



何もしていないようで、大きなことを成し遂げた気分で2月の最終日を迎えている。確かに何もしていないのだけれど、明らかに今までとは違う。そして暖かさを感じ始めてきたのと同時に動き出す準備が整った私はワクワクしながらその時を待っている。



突き抜ける準備は整っている。



ゆったりカルチャーを廃止していた私にとって恐怖の60日間の先にあったのは、自分の根っこにあるマグマのような熱いもの。止まること、受け入れることの恐怖の先にあったものは、新しい自分。

この撤廃という選択は間違いではなかった、というか何とも尊いものになった。



一足早くお家でお花見を楽しんだり、ゆっくりカルチャーも悪くないって話。
だって新しい自分に出会えるんだから。


来週は既に3月。素敵な春を!



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