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ドラクエに見る、内輪ノリというナショナリズム

(1)東京オリンピックでのゲーム音楽起用

東京オリンピックの入場曲がゲーム音楽だらけなのはビックリした。
SNSやゲーム好きの友だちも、爆上げだった。
僕もビックリした。まさかクロノトリガーが流れる時代になるとは...。

そして特に盛り上がっていたのが、ドラゴンクエストの曲だったもよう。


(2)ドラクエ作曲者の過去の発言

ただ、ドラクエ作曲者すぎやまこういち氏の過去の発言が、ここにきてネット上で再度掘り起こされている。

※ 安倍晋三、西田昌司、稲田朋美らは「日本軍」
※ 「生産性」発言の杉田水脈に「正論ですよ」

すぎやまこういち氏は、強い愛国主義を持ち、軍事思想やLGBT差別思想を持ち合わせているもよう。


(3)僕はドラクエ曲が苦手

僕はゲーム音楽を含めて音楽好きだが、ドラクエの曲は好みではない。しかし、ファイナルファンタジー等、別のRPG音楽には好きな曲が多い。

僕はどうしてドラクエ音楽に苦手意識があるんだろう

これについては長年悩んでて、なかなか結論を見出せなかった。

しかし今回、過去のすぎやまこういち氏の発言を知り、非常に納得した。
なぜ僕がドラクエ曲が苦手なのか、理由が分かった。

僕は、下記の理由から苦手だと分かった。

・他国のナショナリズムの日本ナショナリズム化
・強い内輪ノリ


(4)他国ナショナリズムの日本ナショナリズム化

例えば、ドラクエで最も有名な曲は「序曲」だ。
誰もが耳にしたことがあるはず。

この曲には、教会音楽を思わせる雰囲気・パワーがある。パイプオルガンで弾くと特にピッタリ。

つまりドラクエの音楽は、「キリスト教の教会音楽が由来」と仮定できる。

そして、キリスト教(宗教)は、国家を形成する上で最も重要な要素である。
国家を形成する上で必要な宗教音楽とは、ナショナリズムの象徴。この前提で提言するならば、ドラクエの曲は「他国(キリスト教国)の音楽性を日本人が日本のゲームに取り入れた曲」と言える。
もっと言うなれば、ドラクエの曲は、キリスト教音楽を日本的(ナショナリズム)な音楽感覚に変換した曲だ。

これは良し悪しの問題ではない。ただ、ドラクエ曲の重厚さ・教会感は、こういう点が発想源だと思われる、ってだけ。たしかに教会っぽいなって思ってた。


(5)「ドラクエといえばこんな曲」という伝統芸

ドラクエは、日本でRGBというゲームジャンルを確立させた偉大なゲーム。さらにドラクエはゲームタイトルが多く、ナンバリングタイトルだけで11個もある。いかに人気かが伺える。

ここで1つ思うところ。

本当に僕の偏見だけど、ドラクエの曲ってどれも似てない
「ドラクエっぽいコードとメロディ」が常に使い回されてるイメージ(ゲーム業界の星野源。ごめんなさい)。

歴史が長く、かつ似たような音楽が作られ続けられているゲーム。
これって言うなれば、「ドラクエ・ドラクエ音楽はもはや伝統芸能だ」と言える。

他の伝統芸能って何だろなと考えた時、例えば落語や歌舞伎が思い浮かぶ。
落語や歌舞伎にはお決まりの「話」や「キメ」があり、観客はそれらに対して期待したり、待ってました!的なリアクションを起こす。

日本の主要音楽でいうと、演歌が当てはまる。コード進行はほとんどお決まりで、だからこそ親しみやすいし馴染みやすい。(逆にいうと、似たような曲ばかり..)

ドラクエにも、その節があるのかなぁと思う。ゲームシステムしかり音楽しかり。

このようなイメージを穿った言い方に変換すると、「伝統芸能=内輪ネタ」だと僕は考えている。

▼内輪ネタとは

特定の集団でしか通用しないネタを意味する語。 集団の内部では盛り上がっても、外部の人にとっては意味不明であることが多く、その集団が排他的、閉鎖的であるなどの悪印象や、嫌悪感を持たれることもある。

※引用元:https://www.google.com/amp/s/www.weblio.jp/content/amp/%25E5%2586%2585%25E8%25BC%25AA%25E3%2583%258D%25E3%2582%25BF


歌舞伎や落語って、何だかんだ新規集客に苦戦している業界だと思う。何故か?それは、「知識がある人にしか楽しめない要素が多様に含まれる娯楽だから」だと考える。
だからこそ、例えば"ワンピース歌舞伎"など、新しい形の歌舞伎を生み出す必要性がある。

つまり、伝統芸能とは内輪ノリの塊であり、それ故に、新規ファンを得るハードルが高くなっていると言える。

ではでは、ドラクエはどうだろう?

ドラクエの売上は安定しており、IPビジネスにおいても十分稼げている。ビジネス的には文句の付け所が少ないゲームだ。
売れる理由として「ゲームとして取っ付きやすいから」という点は強い。しかしもう一つの理由として「ドラクエといえばこの要素っしょ!」という点も強くあると推測する。
その最たる要素が、音楽である。

初めて聴くドラクエの曲でも、一度でもドラクエをプレイしたことある人なら「あ、これドラクエやん」って思いやすい。

これってまさに伝統芸能の証であり、内輪ノリの証でもある。
しかしドラクエには伝統芸能の側面がありつつ、IPやユーザーインターフェースの面で取っ付きやすさを補填し、ライトユーザー・ゲーマー層を見事に獲得し続けている。


(6)ドラクエとファイナルファンタジーの違い

ドラクエは、比較的新規プレイヤーが増えやすいと思う。音楽だけでなく、システム・キャラクターデザイン・ストーリーなど、ゲーム全体が取っ付きやすいデザインで構成されている。

でもやっぱり僕はあんまり好みではない。。
僕はファイナルファンタジー(以下FF)派。

ゲームシステムだけでなく、時代設定だったり、ゲームの世界観が技術嗜好・魔法嗜好で分けられる点からも、同ジャンルのゲームにおいて差異が現れる。

で。

特にドラクエとFFで比べると、下記の違いが如実に表れている。

・ドラクエ:今も昔もファンタジー&魔法世界
・FF:機械&現代&未来の世界観

ドラクエって、良くも悪くも昔ながらのゲーム感覚が強い。伝統思考。
いっぽうFFは、年を追うごとに現代化している。最新作では車に乗って移動したりする。

この"変化のスピード感"は、それぞれのゲーム音楽にも表れている。ドラクエの音楽はいつもの感じ、FFの音楽は作品によってかなり異なっている。いずれも、良くも悪くも。

上記の点が、「僕がドラクエ音楽が苦手な理由」に繋がっている。


(7)内輪ノリ=ナショナリズム説

僕は、公的なシーンでの内輪ネタ・内輪ノリが苦手。もちろん、いつもの友達同士の話であれば抵抗はない。

でも、公の場となると違う印象になる。内輪ノリが染み込まれたグループやエンタメには、「入りづらい...」という抵抗感を抱く。

そして気付いた。

「内輪ノリの最終形態って、ナショナリズムじゃね?」と。
暗黙の了解が多かったり、自国の文化・伝統を徹底的に重んじる思想。

この「内輪ネタ=ナショナリズム」の公式を用いると、ドラクエの内輪ノリ感=すぎやまこういち氏のナショナリズム思想(note冒頭掲載記事)」に繋がる。

おそらくこの点が、僕がドラクエ音楽を好きではない理由だ。


(8)ナショナリズムは、そこら中に潜んでいる

ライブハウス常連バンド同士のノリ、世間が知らない芸人の名前を出してイジるバラエティ番組、PTA...。
内輪ノリが存在する場所は、身近に多々ある。

それ自体を否定するつもりは無い。

いや、ホントは若干否定派ですごめんなさい。

クリエイティブ・表現・会話に出てくる自身の好き嫌いの感覚は、潜在的な思想の表れでもある。

そう考えると、日頃何となく触れる物事に対して、新しい方程式が見つかるかも知れない。

知らんけど。

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