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アジア人の足枷 〜留学中にアジア人と仲良くするのは悪か〜

せっかく留学行っているのにアジア人と仲良くするのは格好悪い。

そう思っている留学生は意外と多いんじゃないかと思う。

「カナダは移民が多くてアジア人ばっからしいから英語伸びにくいらしいよ。」
「結局アジア人とばっかつるんでてさあ。なんかなあ。」
「カナダ人のイケメンの彼氏でも作ったらどう?」

皆、口を揃えてこう言うもんだから、
自分の中でも知らず知らずのうちに
白人>アジア人、英語圏から来た人>非英語圏から来た人
という超絶人種差別的な構図が潜在意識の中に刷り込まれていた。

「アジア人とは距離を置くようにして留学生活を送ろう。」

それが一番自分が成長できる近道だと信じて疑わなかった。

しかし、無論、話はそう簡単ではない。
実際、食堂に行くと割と同じ人種同士が同じテーブルに固まっているのがよくわかる。

自分も本当の意味で落ち着いて話せるのはアジア人の子だと思う。
相手も感じていることは同じだ。
人にもよるが、ヨーロッパ人やカナダ人に話しかけると迷惑そうな顔をされることもある。空気で分かる。あ、この人は私に興味ないな。って。あと自分の隣の席だけに人が座らないとかね。笑
誰か来たと思ってみたらアジア人であることがほとんど。

初めは見えない壁のようなものを感じてすごく虚しい気持ちになった。
not welcome, not invited な空気感が苦しかった。
そしてアジア人としか打ち解けられない自分を恥ずかしく思った。

だがしかしだ。
西洋的な見た目、考え方、喋り方。
そんなもの真似して無理に違う人種の人と仲良くしようとする方が不自然なのだ。

人というのは自分と同類のものに仲間意識を感じる(無意識レベル)のは当たり前。

長くなりすぎた前髪。
悩みに悩んだ末、かきあげ系女子になるのは辞めて思いっきり外人からのウケがとても悪いぱっつん前髪を作った。

ありのままでどんと構えやがれ、自分。

鏡の中のオン眉K.M.はどこか活き活きしていて不敵の笑みを浮かべていた。

その日を境に、今までの悩みが嘘のように色々な人種の友人ができた。結局のところ人種に縛られ、本来の自分を見失っていたのは自分自身であった。留学したからにはいろいろな国籍の人と交流しないと、と思って謎の圧を相手にかけてしまっていたのかもしれない。

一旦肩の力を抜き、等身大の自分で過ごすことで、自然と気の合う人を引き寄せるし、それが自分を愛することになる。

もし留学中に同じような悩みを持っている人がいたら私は声を大にして言いたい。

アジア人と仲良くすることと自分のコンフォートゾーンを抜ける努力をしないことは必ずしも同義じゃない。
ありのままのあなたってほんとスンバラシイよ!


これから何百年先、一部の人間が差別を無くそうとしたところで人に内在する差別的な目というのは永遠になくならないと思う。 

なぜなら皆、それぞれの人種の足枷をつけているから。
国や肌の色、生物学的差異への意識がそこに存在する限り人種・民族的アイデンティティから逃れられない。

でもアジア人というアイデンティティ、足枷は、まさに家族のようなもので、功罪相半ばする。
どんなに嫌ってもその存在から自由になれない。
でもどこか心の拠り所になっているものだ。
自分は何者かわからなくなってどこか遠くに漂い消えてしまいそうになる時あなたを引き止めてくれる柵でもある。

足枷から真に自由になる方法はただ一つ。
その足枷を愛してあげることに他ならない。


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