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ヴィーガン・ベジタリアンの人権——アンケート調査結果② 知られていない苦悩編  【ゲスト:ASー動物の倫理と哲学のメディア】

*①の続きです。


ヴィーガン・ベジタリアンの抱える苦痛


——ではアンケートの後半を見ていきましょう。

今も話が出たように、“偉そうな存在”みたいに見られがちなヴィーガンですけども、普段どれくらい我々ヴィーガンやベジタリアンが苦しんでるかということって、一般の人に全然知られていないと思うんです。今回はぜひ、わたしたちがどういったところで苦しんでいるのかを明らかにしていきたいと思います。

まず、例えば、目の前で他の人が動物性の食品を食べたり、製品を身につけることに苦痛を感じるという人は約80%いました。

「道やお店で動物性の食品などの看板や写真を見ることに苦痛を感じる」という方は87%と非常に多かったです。つまり、わたし達ヴィーガン・ベジタリアンにとっては、道を歩いてるだけでも、スーパーやコンビニにちょっと買い物に行くだけでも、常に苦痛なものが目に入ってきている。そのストレスのことは、一般の人にあまり知られてないんじゃないかと思います。

「動物の現状を考えて落ち込むことや、鬱状態になることありますか」という質問に対しては、「結構よくある」という方が41%、たまにあるという方は50%、生活に支障をきたしている人も中にはいました。



ヴィーガン・ベジタリアンの求めること——わたしたち意外と謙虚だよ


——そういう中で、ヴィーガンやベジタリアンが何を求めているかというと、ダントツで多かった声は「普通の店にヴィーガン・ベジタリアンメニューを!」という声でした。

オール・プラントベースのレストランやカフェが増えるよりも、いろんなお店に一つでいいからメニューにヴィーガンの選択肢が増えて欲しいということですね。だからほとんどのヴィーガン・ベジタリアンの方は、世間でイメージされているよりももっと謙虚というか、「せめて普通のお店に一品でいいからメニューを入れて欲しい」と考えていることがわかりました。

あとは、「表記をわかりやすくしてほしい」「認証マークがついた商品を増やしてほしい」といった声も。今の日本だと「ベジ」「プラントベース」など、完全ヴィーガンなのかわかりにくい表記があったりするので困るという意見もありました。

こういう商品を売ってほしいとか、お店、イベント他、

法や制度でいうと、肉税を作ってほしい、愛護法の厳罰化といったものもありました。



企業への意見届けをしてみよう


——なお、興味がある方に向けて「どういう活動ならやってみたいか」を聞いたところ、勉強会という回答が一番多かったんですが、意外にも、企業への意見届けも多かったです。

実は企業への意見届けは、今すぐできて効果の高い活動なので、ぜひすぐにでもやってみてください。

企業のホームページにいくと、問い合わせの欄があって記入して提出しすると、大体メールがかえってきます。

上は某アイス屋なんですが、こういうふうに丁寧に返してくれるところもあれば、下の某老舗パン屋のように、やる気のないところもあります。

ただ、わたしが今までやってきた感触でいうと、スーパーに具体的に「この商品入れて欲しい」という声は結構すぐ受け入れられる傾向があります。逆に、「こういう商品を作って欲しい」という声は、すぐには実現されないんですが、同じ声がいっぱい集まると現実化しやすいのかなと感じます。

実際、わたしはタリーズには5年前位から意見届けをしていて、今はプラントベースではあるけどかなり商品も充実してきてるので、ぜひ皆さんも、すぐに実現しなくても諦めずに、長い目で意見を届けてみてください。日本の企業は「消費者からそういう声がないから」という言い訳をしがちで、消費者が言わないと動かないので、気軽にメールして意見を届けてもらえればと思います。



諦めと絶望感と——この社会ってなんだろう


——ゲストのお二人は普段、苦痛を感じることはありますか?

櫻井 わたしの場合は今実家生活をしていて、それもあってベジタリアンにとどまっているんですが、家族が目の前で肉を食べていると気になりますね。例えば「(肉が)美味しいね」とリアクションをされて共感を求められたときに、どう返したらいいのかはわからず、今でもギクシャクします。

道端のものに関しては、気になるというレベルです。焼肉屋の広告とかは、自分にとっては死体というかショッキングな画像にしか見えなくなっているので「嫌だな」とは思うんですが、カバンとかは一見すると、革かどうかわからなかったりするので、「これはヴィーガンなのかな?」と気になることがあります。

——わたしは新しいとんかつ屋や焼き鳥屋ができているの見ると落ち込みます。「まだ増えるのかよ〜」みたいな。黒瀬さんはどうですか?

黒瀬 落ち込まないと言ったら嘘になるけど、日常生活では出家しないかぎり逃れようがないので、できるだけストレスにならないよう注意しながら、メンタルヘルスを整えるようにしてます。広告などは積極的に見ないようにはしていますね。
でも、友人関係では、目の前で(肉を)食べられているときに何も感じないというわけにいかないです。他人だったら、良くも悪くも切り離して「他人は他人だから」と思えるんですが、友人は友人だからこそ切り離すことができないんですよね。その人のことを自分から切り離してしまうことが、友情関係に傷をつけるというジレンマを抱えていて。半年ぐらい前に、大事な友達と喧嘩になって、半年たってようやく仲直りしたんですが、その時はどうしようもないくらい辛かったです。だから僕の場合、無差別に辛いというよりは、自分が逃れられない状況で目にしたり、近しい人が無知ゆえに不意に動物に対する暴力を自明した行動をとると辛いですね。

——生田さんはどうですか?

生田 僕は『いのちへの礼儀』の中で工業畜産の実態に詳しく触れて、自分で調べてショックを受けたんです。実際、畜産動物たちがどんなひどい環境に生き、殺されているか。でもそれを本で出したとしても、依然として工場畜産はどんどん拡大しているし、CMなどでは当たり前のように、幸せそうな牛たちが自分から食糧になったように描かれていて、いやいやそんなわけないだろう、という絶望感はありますね。そのなかで自分が動物の現状を変えるためにあんまり力になれていないことのへのある種の絶望感もあります。

ただ一方で、僕も釜ヶ崎に最初に来た頃は、年間、狭い釜ヶ崎の街中で300人が路上死してました。病死・凍死で。野宿者襲撃という形で殺される人もいっぱいいましたが、それを間近に見てきてるんですよ。

活動してる人の中には、例えば自分の周りでたくさんの野宿者が凍死しているのに、自分たちは温かい布団の中で寝ていいのいいのか、と悩む人もいっぱいいましたし、僕もそう感じていました。だけど、40年近く活動していると、自分の生活は自分の生活として成り立たせた上で活動を続けるのが一番現実的だと考えていて、そこは絶望感や無力感を感じながらも、自分の生活を守るということはやらなきゃいけないことだと思っています。

 ただやっぱり、時々ショックを受けることはあります。例えば最近、桐島聡とされる人物が死んだことが大きなニュースになりました。桐島聡がいた東アジア反日武装戦線は、一つには日雇い労働者が大企業によって抑圧されて差別されているということから、大企業に対して批判と攻撃を向けたわけです。僕は桐島聡がやったことは認めません。僕自身は、釜ヶ崎の日雇い労働者として一緒に働いて、時間や問題を共有することを選んだんです。けれども、日雇い労働者が社会構造の抑圧の結果、悲惨な目に遭って路上死し続けてきたということは事実なんです。その抑圧の一端に大企業がいたことは間違いないので、発想の原点は必ずしも間違っていない。だけどテレビの報道を見ていると、彼や東アジア反日武装戦線の言っていることはまったくめちゃくちゃなんだということで一致していて、そういうのを見ると、改めて、この社会の日雇い労働者に対する見方って何だろう、という絶望感は改めて感じています。



ノン・ヴィーガンの目線から——すぐに変わらなくても言い続けること


——栗田さんはノン・ヴィーガンの目線から見て、この結果について何か思うことはありますか?

栗田 そうですね。わたしは今までヴィーガンそのものというよりも、ヴィーガニズムとフェミニズムが似ているという、さっきの黒瀬さんの話に連動されるように、ヴィーガンへのバッシングや社会の位置付けられ方に関心を向けてきたんですが、ヴィーガンの人がどういう苦しみを抱いてるかといったことは、正直考えたことはなかったんです。今、深沢さんたちと話す中で、そういう苦しさがあるということを知っていくことができました。
 あと、社会問題のどこにビビットに意識を向けられるか、という対象の差は個々にあるんだと思うんですよね。生田さんは珍しい人で、日雇い労働のことと動物のことを同時にやっていますが、大体みんなどっちかになりがちです。

 例えば、同じ女性として生まれても、フェミニズムに関心があるかどうかは差があるじゃないですか。アルバイトで非正規労働者の人でも、労働問題に関心を持つか持たないかには差がある。だから残念ながら、動物のことに関してもそういう差はあることは否定できない。フェミニズムでも散々経験したことだけど、同じようにひどい目に遭ってるように見えても、そこで人によって感じ方が違うといったことはいっぱいある。

 最近フェミニズムでもライターの和田静香さんが「遅フェミ」と言ってるように、ずっと感じてこなかった人でも「気づくのが遅かった」と自分で言いだす人もいる。正直、フェミニズムにしても、他の日雇い労働といった問題にしても、耳をふさいでる人に聞かせることはわたしはできないといつも思っていました。ただ、じゃあそれを訴えなくていいのか、というと全然別の問題で、ずっと運動を続けていくうちに「やっぱりこれおかしくない?」となり続けてきたのが歴史だと思うんですよね。ヒューマンライツにしたって、解放の運動にしたって、最初はそんなこと大事だと思われていなかったものが、声を出して世の中に定着してきた。わたし自身はフェミニズムの感覚はずっと持っていて、「ぱっと通じなくても当たり前」といった経験が50年続いてきたから、すぐに変わらなくても言い続けるのが大事かなと今は思っています。

 わたしとヴィーガニズムというのは、フェミニズムより全然まだ遠いもので、肉の消費量は減ってはきたけれど、とても完璧にはヴィーガンにはなれない。さっきアンケート結果でもあった、人間関係や経済の問題についての気持ちは「わかるわかる」という感じなんですが、わたしはちょっと摂食障害と言いますか、やけ食いだとか肉依存になってしまっている部分があるので、そこをどうしたらいいのかを考えているのが現状です。

——なるほどね。どうしても動物の運動やってると、焦っちゃって、「どんどんヴィーガン増やさなきゃ」とか「肉食べるのやめて欲しい」とストレートになってしまうことがあるけど、なんでヴィーガンになれないのかという人の声を聞くことも同時に重要だなと思いました。



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