はじめて学ぶ「動物実験」③わたしたちにできること
*②の続きです。
犠牲になっている動物のことを考えずに医療を受けられる権利
——私達はこれまで座談会を半年やってきて、畜産の問題や動物園の問題は特に踏み込んで見てきたのですが、動物実験については私も不勉強だったので新しい発見がありました。
やはり、畜産・動物園よりも一層、動物たちが道具として使われる、そして使い終わったら廃棄されることが肯定されている分野だという印象を受けました。畜産の場でも積極的に殴る蹴るといった虐待はあるし、犬猫に対してももちろん虐待はありますが、実験動物に対しては、痛みを与えることがそもそもはじめから正当化されているという点では大きく違っていますね。イラストでもあったように、脳に電極を埋めたり、ネズミを磔にしたり、ウサギを骨まで見えるまでの状態にしたり、なぜこんなことをする必要があるのか意味がわからないレベルのものが多く、映像としても非常にショッキングでした。
私も動物実験には反対ですし、これを見たら同じように感じる人は多いと思いますが、畜産や動物園であれば、それに反対するなら「その場に行かない」「お肉食べない」といったわかりやすい選択ができますが、動物実験の場合、加担してるかどうかが見えにくいと思います。実際に動物実験に反対の立場だったら、病院で処方されたり、薬局で売っているような薬も取らないようにしなければいけないんでしょうか?
和崎 選択ができるんでしたら、確かに動物実験をしてない方を選んだり、動物の犠牲がない方を選択するのは消費者運動として重要だと思うのですが、特に医薬品に関しては法律で義務づけられており、新しい薬を作るには動物実験で得たデータを国に提出しないと作れないので、基本的には、病院で処方される薬や薬局で売ってる薬というのは動物実験されて作られてきています。
商品の中には、生活で使わなくても支障のない製品もあるかもしれませんが、薬というのは、患者さんの痛みや苦しみを取り除いたり、命に関わる場合もあるわけなので、それを取らないというのは無理な話ですよね。誰しもが病気になったり、痛みに苦しんだり、怪我をしたりするので、みんなが使わないと生活できないものだからこそ、動物実験をしないで開発しなきゃいけないと思っています。
多分、畜産動物の活動をされてる方も、「そんなこと言うんだったら、あなたたちはお肉も一切食べないの?」と質問されることは多いと思いますし、私達もこういう活動をしていると「動物実験に反対するんだったら、薬も一切飲まないの?」などと言われたりするのですが、そうではなく、誰しも病気にはなるわけだから、どんな医療を受ける際にも「この陰に動物が犠牲になってるんだ」と考えずに医療を受けられる権利が誰にでもあるので、そのためにも動物実験はなくさなきゃいけないと思います。
運動していると、そのような「反対するんだったら一切そこに関わっちゃいけない」というようなAll or Nothingのことを言われることが結構あるんですが、そうではなく、やはり私達人間が生きてる以上、絶対にどこかしらで動物を犠牲にしてしまってるので、それを少しでも減らせるように、全ての皆さんが努力したほうが、大きな動きに繋がっていくと思います。
——そうですね。「お前は病気になっても薬に一切頼るな」みたいな方向にいっちゃうと、そこで思考停止して、「みんなでより良くしていこう」という方向に議論が進まなくなるので、現実的にそれぞれができる範囲ベターな選択を考え続けるのが大事ですね。
食品でも行われている動物実験——メーカーに聞いてみよう
——食品にも動物実験が使われているというのは、私も最近まで知らなかったのですが、食品の場合、どうやって製品が実験されているかを判断できるのでしょうか?
和崎 商品からは全く判断できないんですよね。化粧品だと、世界的な流れから、商品自体やパンフレットに「動物実験してません」と書くメーカーも増えてきてはいるのですが、食品だとそういった表記はないので、商品を見ただけでは一切わからないのが現状です。
自分からそのメーカーに聞いていただいたり、先ほどスライドの一覧で出したように、動物実験を廃止した食品飲料メーカーの場合はホームページに出してくれてたりするのでわかるのですが、それでもトップページの目立つところに情報を出してくれているわけではないので、消費者の目線からでは「この食品が動物実験しているかどうか」というのは、残念ながら全然わからないですね。
——消費者自らが問い合わせて調べていくしか、今のところ手段がないんですね。
和崎 メーカーの方は、たくさんそういう問い合わせが来たら「やっぱりこの情報はホームページに書こう」などと意識が変わってくるので、直接聞いていただくというのはメーカーの意識を変える効果的なアクションだと思います。
私達JAVAにも、皆さんから「ここのメーカーはどうですか?」とお問い合わせがあります。もちろんこちらでわかってることはお答えするのですが、それだとメーカーに消費者意識が伝わらないので、「ご自身でぜひ直接メーカーに問い合わせてみてください」とお願いしています。
野放しの分野——大学で行われる動物実験をなくすには?
——食品や薬であればメーカーに問い合わせられるかもしれませんが、例えば、心理学の分野でも動物実験が行われてる、ということを本で読みました。そういう分野の実験に反対する場合、一市民としてはどういった行動がとれるでしょうか?
和崎 化粧品・食品・医薬品というのは私達が直接使ったりする製品なので、おっしゃる通り、メーカーに聞くという方法があるのですが、先程この分野の中で一番大きいシェアを占めていると話した心理学をはじめとした基礎研究というのは、占めている割合が多いだけではなく、製品の安全性の試験以上に野放しの分野なんですね。
安全性の試験の場合は、ある程度国のガイドラインに従った方法で行われているのですが、基礎研究の場合は、極端な言い方をすると、研究者の方の興味で「こういうことってどうなんだろう?」という疑問を調べるためにやってるので、方法は全然統一されていないですし、かといって日本だと施設の中の動物実験委員会で、「こんな実験やっちゃ駄目だよ」って却下されるわけではないので、ある意味好き勝手にやっているところでもあります。基礎研究では大学が一番大きい割合を占めているので、一般の方が知るのは非常に難しいところではあります。
でも、例えば論文を読んだり、あと意外と新聞の科学面を見ると、だいたい毎日何かしら動物実験の記事が出ています。たとえば、「◯◯大学がマウスを使って、こういう仕組みを調べた」といった記事が出ているんですね。
ただそれは、「こういうことがわかった」というところまでの情報が書いてあるだけで、その結果が実用化されたのかなどは全然わからないんです。なので、記事が出ていたら、その大学に意見を言っていただくのも効果的だと思います。なかなか一般の方は勇気がいるかもしれないですが、大学がそういう声を受けることは逆にあまりないので、一般の方から自分の研究について反対の声が来ると結構びっくりされると思うし、そういうことをどんどんやってくださる方が増えるといいなと思います。
日本の運動の遅れ——専門家と活動家の不幸な関係
生田 動物実験問題の深刻さを改めて教えていただいてショックを受けています。例えば、人間に対して人体実験をしたら大問題になるのは当然で、731部隊の問題もありましたけど、絶対的なタブーとして捉えられているじゃないですか。だけど、動物についてはそれが平然と行われていて、この違いは何なのかということを改めて感じます。
質問なんですが、日本が欧米と比べて動物実験の現状がそもそも知られていないということですが、例えば、ある医学部教授が「欧米の製薬会社が最近日本に研究機関を設立しているのは、自国では法規制が厳しく、動物実験が厳しいからという面も確かにある。日本は動物実験天国と言われた時代があったのは事実だ」と言っています。欧米の方ではある程度規制が進んでいるために、日本に持ち込まれるような悲惨な実例も起こっていると思うんですね。
動物実験について調べていて感じたのが、日本の場合、動物実験を行う専門家が、活動団体や活動家に対して過剰な警戒をしてるんじゃないかという気がするんです。つまり、自分の実験が全否定されるんじゃないかとか、訳のわかんない活動家・過激派が変な事を言ってる、と構えているのでは、ということです。
僕たちが野宿問題で行政と話し合うとき、同じように警戒をされているのかな、過剰に構えられているのかな、と感じることがありますが、それと似ているかもしれません。
そういう意味で、日本では研究者と活動団体が不幸な関係にあって、建設的な話はできていないのではないかという気がします。資生堂もそうですけど、まだ企業の方がマシな気がします。
海外の場合、研究者自身が活動している場面もあると思うんですが、日本の場合、なぜそれほど研究者が動物福祉の問題について後ろ向きなのか、という点をお聞きしたいです。
和崎 明確に絶対的な原因はわからないんですけれども、まず、海外で活動をしている研究者の方は確かに結構いらっしゃって、欧米の実験反対の活動が進んできているのは、やはり活動家に専門家がいるからなんですよね。
先ほどスライドでご紹介した、医師や科学者で構成されている団体はもちろんですが、そうではない普通の市民団体でも大きなところだと、動物実験をなくす運動をやっている部署に専門家・科学者が職員として入ってるので、国や企業や研究機関に対してのアプローチが非常に上手く、代替法の提案も建設的にやっていけるというところが強みになっているとは感じます。
残念ながら、JAVA はそういう専門家を有している団体ではないです。そういう専門家を有している欧米の団体に助けてもらってるところはあるのですが、JAVAもそういう団体になれればいいですし、そういう団体ができたりすると、日本の研究会と市民団体との関係やバランスも変わってくると思うんですけれども、日本は全然そうはなっていない。これは実験分野だけではなく動物保護の団体全体にいえることで、それは貧困問題でもそうかもしれないですが、市民団体の規模が海外に比べて非常に小さいので、科学者を職員として雇ったりできるところが日本にはまだ全然ない、ということは言えると思います。
またまた出てきた「慰霊祭」という奇習——暴力を正当化させるロジック
生田 『ありがとう実験動物たち』という本を読んだんです。書いた人はいい人なんだろうけど、やっぱり内容としては不十分で、これで納得できるものでは全くなかったんですよね。
『犬が殺される』という本の中で研究者の発言がありますが、「動物福祉は研究者の常識で、どの施設でも研修しています。慰霊祭もちゃんとやってます」とありました。でも「慰霊祭をやったら、それでいいのか」と思うんです。
食肉の問題でもありますが、「ありがとう」って言えばそれですんじゃうと思っている節がある。『ありがとう実験動物』というタイトルもそうなんが、「どんなひどいことをしても、慰霊祭をして感謝すればそれでいいんだ」というメンタリティは日本独特かなという気はしています。
和崎 おっしゃる通りだと思います。学会や市民対象のシンポジウムでも、大学側は「こんな慰霊祭やってます」とわざわざスライドで慰霊碑の写真を見せてくるんですね。慰霊碑を建てるというのは日本独特なんじゃないかと思うんですけれども、殺される動物からすれば感謝されようが何されようが、よしとはできない話です。
あと「実験動物は実験に使われることが使命で、私達はそれを全うさせてやっている」という主張をする科学者もいたりします。こういった主張は、市民に「動物実験することはしょうがないのかな」と思わせるようなテクニックになっていて、動物実験に反対する怒りを抑え込む手段として使われてるんだなというのはいつも感じます。
慰霊祭のときだけは花を手向けてみんなで手を合わせているみたいですけど、普段、大学に行くと慰霊碑は何の掃除もされずにほったらかされていますね。
生田 我々の野宿の現場でもよく言うんですけど、死んでから花をたむけても遅いと思うんですね。
和崎 おっしゃる通りだと思いますね。
解剖すれば「生命の大切さを学べる」?——教育の場での刷り込み
——さきほどスライドの中で、動物実験されている場というのが、研究所だったり、大学だったり、小中学校でもあるとのことでしたが、教育の場が動物実験と繋がってしまっていると感じました。動物園・水族館も、小学校でイベントの一環で行ったりしますよね。動物を利用することに対して、「仕方のないもの・必要なものなんだ」という刷り込みが、教育の早い段階からされている。私も中学のときカエルの解剖の授業があって、私はやりたくなくて別室にいたんですけど、やらなくても勉強に何の支障もなかったし、全然やる意味なかったと思うんですよね。今小中学校でそういう実験をやる数は減ってはきているんでしょうか?
和崎 それもデータがないんですよね。ただ感触としては、私達に相談してくる人の数を見ると、減ってきてるかと思います。
また、解剖実習をやることは学習指導要領で定められているわけではないので、あくまで先生の考え一つなんですね。そのため、学校によって判断の違うところもありますし、同じ学校でも、同じ学年に理科の先生が2人いたら、1人の先生は「解剖をやらせたい」、もう1人の先生は「解剖は絶対やらせたくない」という学校もあったりします。
ただ、残念ながら「生の体験させるのが一番だ」といった古い考えの人もまだまだいます。本来は、人間の体と動物の体の構造の違いを学ぶのが目的で、確かに「動物はこうなってるんだよ」と知るのは理科の教育としてありえますが、人間の身体を知る時は人間の献体を使うわけじゃなく、模型や絵を用いますよね。なので、それに対比させるのだったら、カエルも模型でいいと思うんですが、「生きてる動物の中を開いて、心臓が動いてるのを見せると、命の大切さを学べる」というのが大体共通している主張です。
殺して命の大切さが学べるんだったら、たくさん殺してる人が優しい、といった理屈になっちゃうので、本当におかしな主張だと思うのですが、大概、「学習目的+命の尊さを学ばせるのに解剖実習はいい」というのが、学校のお決まりの主張ですね。
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