【解説】カトリック知識でさらにおもしろくなる『ヴァチカンのエクソシスト』【続編決定!?】
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日本人の「宗教」という単語への忌避はとてつもなく大きなものです。
信仰ひとつに嫌悪や無関心な態度を当たり前のように混ぜます。
それはそれで日本という国の歴史と現代日本の文化として仕方ないことなのでしょう。
まあ、そんなことは置いておいて、キリスト教の教えとか内部事情なんて知る機会もなければ、調べてもあんまりパッとでてこないのが実情。
ちょうど、Amazonプライムビデオでこの映画「ヴァチカンのエクソシスト」の配信が始まり、友人にも勧めました。
その感想がこちら。
エンタメとしてバトル映画であり、ホラーとしての要素もすこぶる薄い本作は海外で評価はとても低いです。
しかし、その実、歴史的背景とカトリックの知識を持っていると見えてくるものが違う!
ただ巨漢の神父がちっちゃいバイクに乗ってきてかわいいだけの映画じゃない!
そんな思いで執筆した解説を是非読んで欲しいと思います。
映画「ヴァチカンのエクソシスト」
ラッセル・クロウ主演映画「ヴァチカンのエクソシスト」。
エクソシストといえば、1973年公開のかの有名な映画「エクソシスト(監督ウィリアム・フリードキン)」である。
この映画によってエクソシストという言葉は西洋の悪魔祓いの祈祷師として日本中に知れ渡った。
厳密にエクソシストというのは「(主に)カトリック教会のエクソシスム(悪魔祓いの儀式)を行える者」のことだ。
そして1973年の映画「エクソシスト」もこの「ヴァチカンのエクソシスト」もカトリックの話である。
そもそもとして、「ヴァチカンのエクソシスト」の主人公ガブリエーレ・アモルト神父は実在の人物であるガブリエル・アモース神父であり、この映画の原作となったのは彼の著書「エクソシストは語る」である。
よってこの映画はカトリック総本家であるローマ法王庁公認を受けており、実際の公認エクソシストが書いた体験談を元にしているのだだ。
もちろん映画として、エンターテイメントとしても十分に面白い作品ではあるが、実のところそれだけでは73年の映画「エクソシスト」のオマージュのような部分が多く見られ、近年のホラーとして他作品と比べると面白みにかける、というのが正直な感想である。
本作はキリスト教、ひいてはカトリックの信仰に理解があれば笑えるシーンや、より主人公たちの心境を理解できるシーンが多く存在する。
しかし、残念ながら宗教、ましてキリスト教なんてものは我々日本人にとって馴染みが薄い。
そこで本作をより楽しむために、いくつかのシーンについて私が学んだカトリック的な説明を加えてみようと思う。
ネタバレを含むので、是非本作を見たあとに読み、興味があればもう一度見直してみることをおすすめする。
そして、ひとつの映画の楽しみ方として、あるいは、あなたの人生の糧として、この文章を読んでもらえれば幸いである。
①そもそもエクソシストとは?
先に述べたようにエクソシストとは悪魔祓いのできる司祭(いわゆる神父)のことである。
一部プロテスタントやキリスト教系と呼ばれる教会でも行われることもあるが、主にカトリックで行われるものだ。
カトリックの悪魔祓いは儀式のひとつであり、それは教会法に沿ってなされるもので、叙階された神父が、司教の特別な認可を受け、医学的なケアの上、行うことができる。(司教とはそのエリアを任されたものであり簡単に言えばそのエリアのトップだ。)
その規則は厳格に定められている。
例えば、いかなる場合であれど、悪魔に憑かれているのか、妄想をいだいているだけなのかを見極めなければならないし、依頼者が病気、特に精神性の疾患でないかを注意深く検討しなければならないのはもちろんだ。
任務を受ける神父は特に清廉潔白で思慮深く、謙虚であることが求められる。そのため、祈りはもちろんのこと断食などのキリスト教的な信仰生活は欠かさず送らなければならない、などだ。
ちなみに憑依を見分けるためにわかりやすい指標として4つあると言われている。
本作を視聴した方なら、最初のシーンで登場したサタンと名乗った悪魔に取り憑かれた少年と、アモルト神父と対立した少年ヘンリーに取り憑いた悪魔との差としてわかりやすいだろう。
1,人智を超えた力を発揮する。
2,本来の声とは違う声で話す。または知らない言語で話す。
3,遠い場所での出来事など、依頼者が知り得ないあらゆる事実を知っている。
4,神聖なものや神に対して冒涜的な怒りを感じる。
劇中、アモルト神父の発言にはこれらについて多くのことが含められている。
あなたはいくつわかっただろうか?
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