『クララとお日さま』感想

カズオイシグロ信者(痛い系)である私は、世の中の絶賛の評を目にしても、
「彼の素晴らしさを、本当にわかっている人はいるのだろうか、
彼の作品は、私というたった一人にだけわかる感動を書いているのだ」
という気持ちで過ごしていました。

全世界の人々が発売と同時に手に取った、ノーベル賞作家の待望の新作を前にして、頭がおかしいにも程があります。

ただ、読んだ一人一人が、自分の限りなくプライベートな部分に触れられたような、もっと言えば触れて「もらった」ような、痛みと驚きと癒しを感じる。
誰にも伝えたことがない、伝えられるとも思えない、でも大切で忘れらない、自分自身の根っこのほうにある一瞬の時や微かな感覚を、言いあてられた、そしてそれを宝物のようにもう一度包装して手渡してくれた、という感じ。
そういった、ストーリーを超えたところにある読後感に、この作家の素晴らしさがあることは確かだと思います。

『クララとお日さま』にも、私にとってそんなシーンがたくさんあり、多分、世界中の、立場も生活も価値観もまるで違う人達が、それぞれの自分の胸の内に、全く別の個人的な感動を持つことができたのではないか、そこがカズオイシグロ氏がノーベル賞作家である理由なのではないかと感じています。

ただ、先日、
・感動ポイントが分からなかった
・これを、みんなはいいとしているのだから、そう読まなければと義務感にかられた
・自分の中にある悪意や害意に気づいてしまいつらかった
といった感想を持つ方に出会いました。

彼らの話を聞きながら、そんな読み方もあるのかと、新鮮な驚きで一杯でした。
彼らの口から、業田良家『機械仕掛けの愛』という作品について、
「あれは、AIのことがよくわかってる、って感じで、すごく感動するよね!」
というお話が出たとき、彼らが『クララとお日さま』に何を求めていて、それを得られなかったように思ったのか、分かったように思いました。

『クララとお日さま』は、「AIとそれを取り巻く人間模様や社会、及びそこから生まれるドラマ」そのものを描いた作品ではなく、「AIとそれを取り巻く人間模様や社会、及びそこから生まれるドラマ」というものをモチーフに、世界と人の結びつきの危うさや、喪失や祈りというものが人間にとってどのような意味を持つものなのか、愛するという行為の中にある、エゴの割合はどれほどなのか、そしてラストにはっきりと明示される、人は、周囲の人々の認識と関係性によって形作られるというメッセージなど、現代の私達が抱える個の問題が、主題となっています。多分。

そして、未熟で整合性がとれないAIという歪みのあるギミックを使うことで、現実の物事をじかに語るよりもずっと鮮やかに、私達個人の混迷を描き出しています。世界と個人は、互いに影響を受け合っているのに、そこに和解はなく、どんどんそのふたつが離れていくような、もしくはすり潰しあっているような、現代の恐ろしさ、残酷さと、その中で個人が愛と充足を感じる生き方を選ぶことが可能なのか、という問いが、余すことなく表現されているように思います。

このため、モチーフになるものは、必ずしもAIである必要はなく、この主題を語るために、最適な切り口を探し求めた結果たまたま選ばれたもので、モチーフや物語は切り刻まれてあいまいさや不合理な部分を(あえて)残しながら最後までほっておかれ、主題の表現のためにだけ存在します。

これは、前作『忘れられた巨人』も同様で、ドラゴンが登場するこの作品はファンタジーな世界を舞台としていますがファンタジーとして読んだ読者はほとんどいないと思います。仮にファンタジーとして読もうとすると、激しい拒絶反応に襲われ、楽しむことも、作者の意図を汲むことも、何もできないことになります。

『クララとお日さま』は、題材も文体も非常にキャッチ―で、SFヒューマンドラマと見紛うような読みやすい外見をしていながら、実は、前作同様にかなりメタメタな作品と言ってよく、その溝につまづいてしまうと、つまらない、という感想になるのではないか? という考察でした。


様々な解釈があると思われるラストシーンを読んで、私は

「もし自分が一度死んだことがあるなら、このシーンをとても懐かしく思うのではないだろうか」

と不思議な感想を抱きました。

誰もが必ず経験するのに、決して誰とも共有することができない、そして完全に自分ひとりだけで体験する、世界と切り離される瞬間の最後の思い。「その時」というのは、寂しさと、後悔と、諦めと、それでも私のような愚かで無能な人間でもほんの少しの、美しいものへの感謝と、愛し愛されたことへの充足という救いが漂う、きっとこんな情景なのではないかと、想像しました。クララがいた、静かでひんやりとして少しほこりっぽく、お日さまのうっすら差し込むあの倉庫は、本当に誰とも同じではない、私だけの大切な場所として、私の心に残り続けるのです。

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