光の彼方へ。
1年ぶりの健康診断で、右の視力が上がっていることが発覚した。僕は元より不同視で、右眼は1ある視力が、左眼は0.1にも満たなかった。
「本当に、何も不便がないんですか?」
医師を何度か逆撫でしてしまったことがある。しかし、生まれつきということもあり、そこにあるべき頭痛や不都合は僕にとって日常だった。つまり、その不都合なるものを追いかけるように知覚することはできないのだ。
記念碑みたいに同じ視力が続いた人生だったのに(右:1.0 , 左:<0.1)、その法則が瓦解した。僕の右眼は、1.2の視力に向上されていた。眼精疲労が取り沙汰される現代において、少しくらいは胸を張っていい視力だ。「身長と視力が伸びた」僕は小粋なエピソードの一つとして、その事実を格納した。
しかし、それはそんな単純な話しではなかった。翌年は1.5、その翌年は2.0と、僕の右眼の視力は指数関数的に伸びていった。(左眼は相変わらず沈黙を続けていたのに)これまで見えなかったものが見える喜びなんかは、その不気味さの前で無力だった。3.0、4.0、6.0、10.0……。その間隔も一年間から矢庭に短くなっていく。昨日見えなかった繊維の傷が、ニキビの跡にこびり付いた皮脂が、水洗いで落ちきらない汚れの一つ一つがくっきりと視覚情報として処理される。毎日、毎日、毎日……。
やがて、世界の隅まで見えるようになった僕は、そこで耐えきれなくなった。視力を落とす眼鏡でもあれば、どうにかなったかもしれないけどね。