不登校、忘れてた記憶
私の不登校は中学の約3年間だったが、一番辛かった最初の半年くらいの記憶とか、その時何を感じてたかとかあまり覚えていない。思い出そうとすると、母と玄関前で揉めて泣いてるシーンとか、転々とした病院の待合室とか、飛び飛びの映像だけがあって、それらを少し繋げたりし、曖昧ながら時系列で整理したりは出来るものの、その時に何を感じていたかはほとんど思い出せない。恐らく、燃え尽きてほとんど放心状態だったから、考えること感じることすら停止していたのではと思っていた。
最近、「35歳の少女」というドラマを何気なく観た。事故で25年眠り続けていた少女が目覚め、心は少女のままだが、身体は35歳になっていた、という話。目覚めた少女は、変わり果てた様々な現実にぶつかる度「え、なにこれ、悪夢!?」と心の中で叫ぶのだが、どういうわけか、何気なく観ていた私は気づいたら止まらないほど号泣していた。少女は、事故の前の家族や自分自身がいつもと変わらずそこにいて、「なぁーんだ夢かー!」と安堵する夢を何度も見る。
「悪夢だ!」「なぁーんだ夢か!」これらの言葉や少女の心情を感じて、状況はまるで違うはずなのに、私の記憶が一つ、また一つと蘇り始めたのである。今置かれてる現状は全てが夢だったと何度も安堵する夢を見て、目が覚めると絶望すること、世界中から取り残されたような感覚があったこと、眠れない夜を過ごして日が昇り、学生達が登校していく様子をカーテンの隙間から怯えながら見ていたこと…
放心状態ながらも、死んでいたように思えていても、あの頃の私は確かに生きていた。
そしてあの頃の思っていたこと。「無」である部分と、色んな感情がごちゃ混ぜの部分と、綺麗には整理できないけれど、一つだけハッキリ分かったことがある。それは、「私も学校に行きたかった」という気持ち。友達とお喋りしたかった、嫌な先生にも良い先生にも出会ってみたかった、一人では到底取り組めそうにない数学を勉強したかった、部活にも行きたかった、恋もしてみたかった。もちろん、一方で力尽きてる私は、それら全てから解放されてホッとしてるところもあったし、恐らく不登校でも十人十色あって、一切行きたくないと思ってた私の夫のような人も多いだろう。ただ私の場合は、行きたい気持ちが強くて、悔しくて、寂しくて、情けなくて、羨ましくて…その気持ちが一番辛かったかもしれない。だから当たり前のように登下校している学生の姿を見るのが怖くてならなかった。怖いのにカーテンの隙間から震えながら見てた。今思うとよっぽど私が怖いな(°_°)
まさかのドラマから色々な記憶が蘇って驚いたけれど、嬉しい。あの時、私は確かに何かを感じ、何かを強く思い、途方に暮れながら痛みと絶望のなか、確かに生きていたんだと。そう思えたから。そして、望むような形ではないかもしれないけど、それ以上の素晴らしい出来事や出会いや経験が、その後たくさんあったということ。それら一つ一つが「私」になって、今ここを生きている。今置かれてる状況はまた新しいステージで試練の連続だし、正直生きるのもしんどくなることも多いけれど…悲しみは悲しみのまま、苦しみは苦しみのまま、その時々に感じる気持ちを大切に、全てを受け入れて生きていきたいなぁ、と思う。