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自己矯正記61「後悔を作らない生き方」
とある介護事業所の責任者をしながら夜更かしの仕方が学生みたいな男、Tatsuyaです。
夜中3時とかまでLINE通話とか精神年齢大丈夫ですか?と自問自答しています。
【目の前で人が倒れていたら?】
現代で取り返しのつかないものは二つ。
『時間』と『命』だと思っています。
特に時間はどうやっても人間では覆せないものだと思います。
私個人の後悔の定義は「どうやってもプラス転換できない過去」です。
少し付け加えるなら「できるのにやらなかった過去」には特段強い後悔を感じます。
例えば今、目の前に人が倒れていた時、助けずに素通りした結果その人が命を落とす。
私はその時間に戻ってやり直せないしその人の命を取り戻すことはできません。
その時にできるならする、というよりも「その時に自分がしなければもう自分にはできない」ようなこと。
【過去は変えられる?】
これはキングコング西野さんが近畿大学のスピーチで言っていたこと。
「過去の失敗もアップデートして今プラスなら失敗では無い」
過去に「恥ずかしかった」という出来事も今「笑い話」として消化できていれば、それは今の自分にとって過去の失敗がプラスに働いている。
これは屁理屈ではなく事実です。
考え方一つで過去に対する受け止め方が変わった、という事実。
その理屈の中で私にとって「変えられる過去」は後悔になりません。
【やるべきと感じたら動く】
昨日、clubhouseで話している最中、ある方が運転中の道路上で猫の遺体を見つけました。
その人は一旦通り過ぎた後、猫の元に戻り遺体を布にくるんで回収し供養をしたのです。
この人は「誰かがやるだろう」「やり方が分からないから戻っても仕方ない」とはならなかった。
変えられない過去を作らなかったのです。
ウチの祖母の行動理念は
「正しいと思ったらやりなさい。正しく無いと思ったらやめなさい。それだけでいい。」
でした。
↑過去のリンク添付↑
猫を埋葬した人もそれをすることが正しいと判断したからだと思います。
誰かのため、何かのため、これからのため。
そういった想いで始まった行動は失敗しても後悔なんてしなくて大丈夫です。
例えその猫を供養しようとした結果、誰かにとやかく言われても放っておきます。
アドラー心理学に照らし合わせればそれが「あなたの課題」だから。
他人がどうこうというのは自分とは関係のない「他人の課題」なので、気にしてもしょうがありません。
【結局、アドラー心理学】
アドラー心理学を雑に説明します。
『自分の課題は自分ができることとすべきこと。他者の課題に介入して捻じ曲げないこと。』
『過去に囚われず今の自分が判断してやれることを全力でやればいい。』
『他人からの目なんて気にする理由がない。他人の中に自分を作ってたらそれは他人の人生。』
私はアドラー心理学をこういった自己解釈で都合よく使って生きています。
だから「今、力になりたい」と思っている人には全力で力を貸します。
結果、失敗をしその人に嫌われたとしても仕方ありません。
私の課題はその人に好かれることではなくその人の助けになりたいということ。
失敗して嫌われたならそれは自分のせいであって他人のせいではないから、反省すりゃあ終了。
自分が傷ついてストレス溜まってもこうやって考えてれば時間が解決します。
以上が私の「後悔しない生き方」でした。
ぜひ一部でも参考にして、今の自分で過去を変える作業に取り組んでみてください。