質問(22/6/24講義)①

greatminer:「自分を識別するのに第一基準を使わない人物というものが想定できるか」という点について、
1.「東洋の専制君主の忠実な臣下」といった場合であれば想定できるでしょうか。例えばAがそのような人物であったとして、Aが怪我した場合もBが怪我した場合と同じように「臣下であるAがこれこれの怪我を負い、痛そうに顔をしかめております」といったような報告のみをする(せいぜい、報告内容の詳細さの程度が違うに過ぎない)、ということは考えられ、その社会の中では特に矛盾するわけでもないように思われました。
2.しかし、別の面として、「命令に従う」という面(より広く、その身体を自分のみが動かせるという面)を考えると、やはり無理があるでしょうか。例えば、Aとしては命令内容が実現されるべきと思っているのに、Bがそのとおり行動しないことによって命令が実現されない、といった場面を考えると、Aが行動しない場合とBが行動しない場合を同じように説明することは無理のように思われました。
3.そもそも、上の1.2.のような検討だと、単に「第一基準を使わない」のでなく、「およそ「私」という語を使わない」という想定とあまり変わらず、「第一基準を使わない(第二基準は使用し得る)」という元々の想定からは適切ではないことになるでしょうか。

永井:1,おっしゃる通りと思います。その際、Aの口からその報告がなされる場合には「A」を「私」と表現するシステムになっていてもかまわないと思われます。
2,「その身体を自分のみが動かせる」と描写できる状況では、第一基準を使って自分を識別していますね。
3,1で述べたように、むしろ「私」は使えると思われます。

※関連リンク「哲学探究3 第5回」


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