質問(22/7/15講義)①

拓:
第7回9の以下の箇所について質問させてください。

「一心別体の彼らが私を本質において同型の他者(隣人)と認めない場合は、彼らが自分とは別に客観的世界の存在は認めていたとしても、ある意味ではやはり自分=世界と捉えているともいえるので、その場合には(森羅万象という意味での)世界については誤同定がありえないのと同じ意味で誤同定の可能性がない**。」

ここでいわれている後者の「誤同定」は(非常に原初的な意味での)自己同定における「誤同定」と理解してよいでしょうか。しかし対応する注にあるように、該当するケースにおける存在者の意識内容はそもそも主語を持たない性質のみによって表象されるようなものであり、また続く10において、そうした存在者は自己意識をもつことはできないとされています。そのようなレベルにある存在者に関して「誤同定」による誤りの可能性の有無を語ることは一種のカテゴリーミステイクを犯すことにならないでしょうか。彼らはIdentificationという意味のみならず、Individuationという意味においても、そもそも自己同定というものをしないからです。

永井:
一般に誤同定が不可能なのはそもそも自己同定というものをしないからです。通常の場合でも同じです。

※関連リンク「哲学探究3 第7回」

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