お疲れ様です。桐島です。今回は、2021年の決意表明をします♪
今回は、2020年12月発売の東浩紀さんの「ゲンロン戦記」の紹介です。
東さんと言えば、1971年生まれの進出気鋭の評論家として有名です。
「動物化するポストモダン」
私が、最初に手に取った東さんの本は、2001年に出版された「動物化するポストモダン」でした。
エヴァンゲリオンのヒットの理由があまり理解できていなかった私に対して、この本は、ポストモダン社会では「大きな物語」が縮退するなかで、オタクたちがマンガやアニメやライトノベル等の作品を、物語として読むのではなくその構成アイテムを消費している、という特徴を教えてくれました。
「う、なんやて、難しい!」と思ったあなたは、仕方ありません。本書を読んでいただいた方が分かりやすいです (笑)
「ゲンロン0 観光客の哲学」
そして、その後、しばらく東さんの本は読みませんでしたが、2017年4月の出版された「ゲンロン0 観光客の哲学」がたまたま、京都大学生協(ルネ)で目に留まり、2018年11月に購入しました。
たまたまというよりは、凄く高く積みあがっていたので、どうしても目が行ってしまう構造だったのですが、、、
中身がぎっしり詰まった内容の濃い本でしたので、読み終えるのに時間がかかりましたが、たまたま職場で書評リレー(役所内で若手に対して、読書の機会を与えるための読書感想文)への寄稿を上司から依頼されたタイミングだったため、以下の紹介をしました。
大学時代に、京都でボランティア観光ガイドを4年間していましたが、観光客を哲学することは皆無だったので、自分の過去の経験と照らし合わせて、懐かしい思い出に浸りました。
閑話休題
「ゲンロン戦記」
前置きが長くなりましたが、本題の「ゲンロン戦記」の紹介に入ります。
本書は、東さんという哲学者が、会社をつくり、苦闘した10年の記録です。
哲学者というと、椅子に腰かけて、机上の空論を語るというイメージがありますが、東さんは行動する哲学者で、反資本主義で、反体制的で、オルタナティブな未来を提供するために、「ゲンロン」という会社をつくりました。
ゲンロンは、未来の出版と啓蒙は「知の観客」をつくることだと考えているようです。
いまの日本の知識人は信者ばかりを集めていて、論壇誌に寄稿したり記者会見を行ったり、派手なパフォーマンスばかりをして、特には炎上商法によりページレビューとリツイート数を稼いでいます。短期的なバズリは、長期的には何の価値も生み出さないというのは真実です。
あらゆる文化は観客なしには存在できず、良質の観客なしには育たず、「ゲンロン」の役目は、こういう「知の観客」を地道につくることのようです。
本書を手に取って、冒頭の箇所から、「うんうん、そうだなそうだな!」と惹き込まれてしまったので、引用します。
2020年代から見ると、少し遠ざかって見える(忘れてしまいそうな)、
2010年代の特徴を描いています。SNSを利用した短期的志向は、社会全体にも影響を及ぼしていると日頃から感じます。
私の勤務している官庁でも、近年多くの若手が転職しています。自分がより活躍できるポジティブな転職なら大賛成、万々歳ですが、今の若手には、今の仕事が合わないのではないか、という不安や懸念から転職を考え始める人が多い印象を受けます。目の前の仕事の向き合わずに、逃げの姿勢になってしまう人もなかには見受けられるため、「もったいない」と思うことも多々あります。
仕事の日常においても、誰もが「すぐに売れたい、活躍したい!」と思う志向は健全でないという実感が湧きます。
それでは、特に印象的だったポイントを3つ記載していきます。
印象的な3つのポイント
1.30代の深い反省
私自身も30代中盤に差し掛かりつつあるため、この箇所は非常に考えさせられました。30代からは何でもかんでも出来ないので、自分の可能性を徐々に閉ざしつつ、プロフェッショナルとして何が向いているかを選び取らなければいけない!ということを、この箇所から学びました。
役人は、与えられた仕事をこなしているだけで、それなりに忙しく、満足してそれに甘えてしまえがちな傾向があるため、注意しなければいけないと反省しました。以下に該当箇所を引用します。
2.仕事をひとに任せる
この箇所は、腑に落ちました。役人の仕事はチームで仕事をしているので、上司になっていくにつれて、チームメイトがどういったタスクをしているか把握しなければなりません。そのためには、自分が周りの人のタスクの内容をある程度把握していなければいけない、という多少の重複と面倒さが生じるのです。この重要性について、改めて深く頷ける内容です。
以下に引用します。
3.無駄なコミュニケーションの有用性 under コロナ禍
最近、コロナ禍下で、面白い対話・会話が減ったと感じます。私は、休日も含めて数多くの勉強会を主催していますが、オンライン形式だと、ある程度時間が決まっていて、時間外の雑談が発生しにくいんです。やはり、オンラインではない会話の良さは、会話が盛り上がったら、その後にも会話を続けられることだと思います。
例えば、大学で理想のゼミというのは、ゼミ時間内に議論が白熱し過ぎて終わらず、そのまま居酒屋になだれ込んで、「ああでもない、こうでもない」と言い合いをするセミだと思います。
私は、大学時代は、そういう会話・議論ばかりしていたので、今のコロナ禍下で、時間外の雑談の学びが改めて滲み出ていると感じます。
これを目指しているのが、ゲンロンカフェという事で、今回、ゲンロンカフェに並々ならぬ関心を持ちました。引用します。
東さんのゲンロンカフェは、このコロナ禍下で、改めて見直されるべき場所ですね♪ コロナ前までは、こういった環境・機会を提供し易かった。しかし、実は、こういった環境・機会があること自体が、貴重だったことが今になって分かりました。
少し前に、長崎県佐世保市にある長崎県立大学という所で、1日目講義、2日目ゼミという形で、講座を担当させていただきました。
この講座は、こういった無駄なコミュニケーションの有用性を信じて、実践している先生によって担保されていました(ゼミで議論が白熱すれば、そのままスライドで居酒屋でずっと続けて誤配=雑談を大事にする信念がある)
私のような部外者に講座を2日に渡って担当させて頂くというのは、非常に珍しいと思います(多くの地方の大学の先生は、そういったことはリスク、面倒だと捉えてしまったり、そもそも人脈が非常に限定的です)。
貴重な機会をいただいて、実質的に時間無制限で、講義後の質問はいくらでも受け付けて、議論をし尽くすことが出来ました。そして、学生にも満足いただけたと自負しています(勘違いだったらすみませんが( ゚Д゚)、その後も一部の学生からは質問頂いています、、、)
私にとっては、大学時代に学生寮に住んでいて、夜な夜な議論を闘わせて、眠りにつくという毎日でしたので、珍しくない経験でした。しかし、今の学生は、なかなか出会わない貴重な体験だと感じました。
尚更、コロナ禍下だと厳しいでしょう!
この大学の先生とも、私が役所に入って、東南アジアの勉強会を何度も主催していた際に、ひょんなことからお会いして、尊敬して頼りにさせて頂いていました。そして、大学にお招き頂きました。東さんの言う「誤配=雑談」から関係が生じたわけです。
コロナの真の敵は、ウイルスはもちろんですが、「誤配=雑談」を排除する雰囲気が出来上がることで、知や文化の醸成が阻害されてしまうことではないかと、私は強い危機感を抱いています。
独りよがりの危機感を抱いて終わることなく、今回の東さんとの本の出会い、長崎県立大学での講義のような、「誤配=雑談」の機会を意識的に作っていきます。これをもって、2021年の決意表明にしたいと思います。
See you soon.