【ネタバレあり】ミドサー必読の共感作『銀の夜』(角田光代)
はじめに
角田光代の小説『銀の夜』は、高校時代にバンド活動を共にしたちづる、麻友美、伊都子の3人が、34歳となった現在、それぞれの悩みや葛藤を抱えながら再び交わり、別れ、成長していく姿を描いた物語です。三宅香帆さんの『娘が母を殺すには』で紹介されていたことをきっかけに手に取りました。親子や友人関係、そして自分自身との向き合い方について考えさせられる本作は、どこか身近で、どこか痛みを伴う、深く心に刺さる物語です。
あらすじ
※このコラムには、物語の結末に関するネタバレが含まれています。まだお読みでない方や内容を知りたくない方はご注意ください。※
ちづるは、安定した家庭を築いたように見えながら、旦那の不倫を知っていながらもその現実に向き合えない自分に苛立ちを感じています。趣味であるイラストの仕事にやりがいを感じる一方で、家庭に縛られた現状から抜け出す術を見いだせずにいました。
麻友美は、一人娘を芸能界に送り出すことを夢見て、子育てに力を注いでいます。しかし、心の奥底では、娘を成功させることで自分の叶わなかった夢を埋めようとしていることに気づいており、夫の収入に頼って生きている自分にもどこか空虚さを感じています。
伊都子は、翻訳家として成功した母親の影響を強く受けた人生を送りながら、その期待と愛情の裏にあるプレッシャーと劣等感に押しつぶされそうになっています。一見自由奔放に見える生き方も、母親の影響を断ち切れない自分に苛立ちを覚える日々です。
ある日、久しぶりに集まった3人の会話の中で、伊都子が突然母親への不満を打ち明けます。今までに見たことのない伊都子の様子にちづると麻友美は戸惑いを覚えます。30歳を過ぎ、自分自身が母親の影響下で生きてきたことに気が付いた伊都子は母親への憎しみを感じるようになります。しかしその矢先に母親が末期がんになってしまいます。伊都子はパニックに陥り、はじめは、高額な民間療法に手を出したりしますが、徐々に現実を受け止めていき、ある決断をします。それは、病室のベッドで眠る危篤の母親に海を見せるというものでした。それは、伊都子と母親の思い出になじみ深いものだったからです。しかし、病院に相談して断られた場合、母親が生きている間に海を見せることはかなわないかもしれない。そのため、無断で病院から連れ出すことを決意し、ちづると麻友美に協力を求めます。3人は母親を海に連れ出す計画を実行し、病床の母親を車に乗せて海岸へ向かいます。
その後、母親は亡くなり、3人の人生は再びそれぞれの方向へと進み始めます。
ちづるは、旦那との離婚を決意し、一人暮らしを始めます。金銭的な不安を抱えながらも、誰にも縛られない自由を初めて実感し、新しい生き方に小さな希望を見出します。
麻友美は、二人目の子供を妊娠します。伊都子の母親と海を訪れた経験がどこか彼女の心に影響を与え、親子という絆について深く考えさせられたのではないかとちづるは推測します。
伊都子は、日本の海ではなく、母親が本当に見たかったというスペインの海を訪れることを決意します。母親を縛り、同時に愛した地を離れ、新たな未来へ踏み出そうとする覚悟です。
再び集まる予定だった3人ですが、それぞれの新たな人生の展開により再会は延期となります。ちづるは、3人が再び同じ場所で集まる日が来るのは、きっとずっと先のことなのだろうと感じながらも、これがそれぞれの成長の証だと静かに思うのでした。
人間関係のリアルさ――「生々しさ」に共感する読者たち
この物語の大きな魅力は、キャラクターたちが抱える悩みや葛藤が、私たちの日常にも通じる「生々しさ」を持っている点です。ちづるの「安定した生活がありながらも、自分の存在意義に悩む姿」、麻友美の「自分のやりたいことを娘に託そうとする姿」、そして伊都子の「親からの支配から自由になりたいと願う葛藤」。この3人の人生には、女性が抱えがちな典型的なパターンが見え隠れします。
とくに、3人が共通して抱えているのは「自分の人生を本当に生きているのか?」という問いです。一見すると異なる人生を歩んでいるように見える3人ですが、実際にはそれぞれの状況に適応しつつも、どこか満たされない気持ちを抱えている。こうした感情は、多くの読者が共感できるポイントではないでしょうか。
伊都子の母親の死を通じて得た気づき
伊都子の母親が亡くなる場面は、この物語のクライマックスです。伊都子が母親を海に連れ出すという大胆な行動を選んだ理由は、母親に「本当に見せたかった景色」を届けたかったからです。そして、その行動を経て、伊都子は母親からの支配を乗り越え、自分自身の人生を歩む覚悟を決めます。
ちづると麻友美もまた、この出来事を通して、自分の人生について考え直します。ちづるは旦那との離婚を決意し、金銭的な不安を抱えながらも自立する道を選びます。一方、麻友美は、二人目の子どもを授かることで「母親になる」という新たな役割を受け入れます。この物語が伝えるのは、「どんな人生を歩んでいても、誰もが自分の生き方に疑問を感じる瞬間がある」という普遍的なテーマなんじゃないかと思います。
「自分の人生を生きる」とはどういうことか
『銀の夜』を読んで感じたのは、どんな生き方にも不安や葛藤がつきまとうということです。結局、重要なのは「自分の人生をどう受け入れるか」という姿勢ではないでしょうか。この物語に登場する3人の女性たちが、それぞれの悩みや葛藤を抱えながらも、最後には自分の道を選び取る姿には、強いメッセージ性を感じました。
芦田愛菜さんの言葉を借りれば、何かを決めるとき、とことんまで考え抜く、そのあとの結果は決まっているので、そこに行くための方向を選んだだけだと静観する――人生には悩みや葛藤がつきものですが、大切なのは「自分で選んだ選択肢」であることです。どんな結果になろうとも、自分で決めた道であれば納得できる。『銀の夜』は、そうした選択の重みと覚悟を描きながら、自分の人生を引き受ける力強さを問いかけてくる物語です。
私たちは日々、他人の人生を羨ましく思うこともあれば、自分の選択に疑問を感じることもあります。しかし、この物語が教えてくれるのは、どんな状況であれ、自分で自分の人生を決定している実感の大切さです。3人が歩むそれぞれの道に、私たち自身の未来を重ね合わせながら、この物語を読み終えたとき、きっと新たな一歩を踏み出す勇気をもらえる、そんな小説だと思いました。