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知的好奇心だけで生きている気がする
世の中には2種類の人間がいる。
ひとつは、勉強よりも仕事をするのが好きな人間。もうひとつは、仕事よりも勉強をするのが好きな人間。
どうやら、姉は前者で、私は後者のようだ。
こうした特性にはスペクトラム(範囲)があり、その強さには個人差がある。
私は、人一倍知的好奇心の強い人間だった。
労働よりも知的好奇心が先行する
仕事をしていると本が読めない。
——ので、仕事をやめることにした。
読書が楽しすぎて、仕事ができない。
働いたとしても、長くは続かない。
仕事をしていたときも、時折、関心のあるテーマについて考えてしまっていた。
新しく覚えた単語を頭の中で暗誦したり、次に読む本をどれにしようか悩んでいた気がする。
いや、自分はそこまで不真面目な労働者ではなかった……と思いたい。
でも、労働中に読みかけの本の続きを思い浮かべることは、それなりにあった。
……やっぱり不真面目な労働者じゃないか。
たぶん、働くことが向いていない。
特に、誰かに雇われる働き方は、めっぽう合わないだろう。
気がつけば、いつもニートになっている。
リスポーン。ふりだしに戻る。
だがしかし、世間は厳しい。
資本主義経済において、お金(貨幣)がなければ生活は厳しくなる。「お金を稼ぐために働く」という図式はすでに確立され、強固な社会思想になっている。
「向いてないから」といって労働を避ける態度を見せると、周囲の顰蹙を買う。
焦りを覚えるこの頃
思えば、大学時代の友人にも、働くのが良くも悪くも向いてなさそうなタイプが一定数いた。
類は友を呼ぶとはこのことか。
しかし今や、浪人や留年を経験した彼らも、大学院進学を選んだ彼らも、社会人として労働に従事しつつある。
焦る自分と、諦めた自分が半々で同居している。
漠然と、「ちゃんとしなくちゃ」と焦る気持ちはある。
けれど、理性的に自分を見つめるほど、もはや打つ手がないように感じられる。
フルタイム、アルバイト、さまざまな就労形態を試してみたが、結局最後に勝つのは知的好奇心。
お前がナンバーワンだ。
大人になれない
どうせ人生が有限なら、時間に限りがあるなら、本を読んでひたすらに自らの内的世界を豊かにしたい。
知的好奇心という名の衝動だけを抱えて生きている。
そんな自分を、幼稚と思わずにはいられない。
うまく社会と折り合いをつけられない自分は、未熟であるように思える。
さまざまな衝動や欲を抱えつつも、なんとか社会と折り合いをつけているのが「大人」なのだと考えている。
だからこそ、自分が大人だとは思えない。
年齢的には成人しているが、それだけだ。
数値だけしかない。中身はともなっていない。
ある種、社会に適応できない人間であるのなら、もはやそういう存在として生きていくほかない。
幸い、それを許される環境に身を置いているが、諸行無常。
いつまで続くかわからないし、周りの人間も自分も、いずれ老いる。
今の環境を失う不安、将来の不安はある。
けれど、社会は日々移り変わる。
日々、新しい発見があり、研究が進み、これまでの常識が塗り替えられていく。
それを眺めている時間にこそ、私は満ち足りる。
やっぱり、知的好奇心だけで生きている気がする。