だからその無駄をやるーミニ読書感想『俺達の日常にはバッセンが足りない』(三羽省吾さん)
三羽省吾さんの『俺達の日常にはバッセンが足りない』(双葉文庫、2023年6月17日初版発行)がしみじみ、面白かったです。小説としては地味かもしれないけど、良い。劇的な展開があるわけではないけど、だからこそ優しい。大切なことが語られてる。
バッセンとは、バッティングセンターのこと。タイトル通り、日常にバッティングセンターが足りないんだ!だからつくるぞ!とゴリ押ししてくる、迷惑な友達に振り回される話。
バッティングセンターは、明らかに必要不可欠なインフラではない。少し前の言葉を使えば、不要不急でしょう。だから物語の舞台、東京多摩地区のとある街からも、バッティングセンターは次々、姿を消しつつある。
でも、登場人物の心には、この迷惑マンの言葉が胸に残って離れない。「俺達の日常にはバッセンが足りない」。口ずさんでみると、読者としてもなんだか、バッセンが足りない気がしてきませんか?
たぶんそれは、「不要不急なものは無駄でしょ」と言われることに、「ちょっと待ってよ」と思うからなんだと思います。無駄と言われると、争いたくなる。登場人物のセリフの中にも、そんな心情が滲みます。
少年のケントくんは、教育熱が極めて高い母親の意向でたくさんの習い事をさせられていて、野球クラブへの参加も止められている。そんなケントに父親が「あのバッティングセンターがほんとに出来たら、一緒に行こう」と誘う。少年ケントくんは、母の否定を先読みして、父にぶつけたのです。
そして父は「だから、その無駄をやるんだよ」と答える。無駄なのは分かってるよ、と。だからこそやるんだよ!と。
これこそが、生活にバッセンが足りないし、バッセンが必要であるということなんでしょう。
必要で固められた日常。絶えず、義務の履行が求められる社会。そこに風穴を開けてくれるのが無駄であり、たぶん現代には無駄が足りない。
そもそもこの会話も、実は無駄の一つです。少年も父親も脇役だし、この挿話がなくても物語が成立する。でも、そんな挿話が光るのが、本作の良さだなあと感じます。