問題は「川上り」できるーミニ読書感想「上流思考」(ダン・ヒースさん)
ダン・ヒースさん「上流思考」が面白かった。問題解決に有効な、新鮮なフレームワークが学べる。ダイヤモンド社、櫻井祐子さん訳。ダンさんは「ダン・ハース」や「ハース兄弟」とも邦訳されることもあるそうだ。
本書のポイントは、不祥事やトラブル、事件などの具体的事象は、問題の「下流」と捉えることができるという発想だ。たとえば若者が麻薬に手を出すことを問題と捉えると、その前段階には学校や家庭での不和があるかもしれない。この学校や家庭こそ問題の「上流」である。
ダンさんは、「下流への対応から上流への対応にシフトしよう」と呼び掛ける。上流に向かえば、問題が「起こる前」に解決することが可能だからだ。
言うは易し行うは難しのこの発想を、「どう実現することができるのか」が懇切丁寧に描かれる。実例も、論理の組み立ても、納得感のあるものだった。
面白いのが、問題の上流はどこまでもどこまでも伸びていくということ。たとえば、高校中退率を改善しようとしたシカゴの話では、中退率が高い生徒は高校1年生で挫折するケースが多いとわかった。だから1年生へのケアを拡充するのが「上流思考」だ。
ではなぜ1年生でつまずくのだろう?それは、入学以前の学習や生活に課題があるから。そしてもっと遡れば、そもそも子どもを育てる家庭、生む母親が貧困などのハンディキャップを追っていることにも目が向けられる。
上流に行けば行くほど、問題は早期に解消できる。一方で上流の対策ほど複雑で、目に見えにく、仮に成功しても影響が分散して測りにくいというネックもある。
けれどもダンさんは、「上流へ行こう」と訴える。誰かに任せるのではなく「自分が」問題の上流対応を開始するという当事者意識も大切だと説く。大小問わず、対症療法ではなく根本解決を志す上流での活動家は、「英雄」だと鼓舞してくれる。
この姿勢に勇気が得られるのだ。問題の上流に行くのは難しい。だけれども、上流はある。行ける。そういう確信が本書から授けられるものだ。
上流活動を阻むさまざまな障害も解説される。最たるものは「問題盲」と呼ばれるもの。問題の下流で対応していると、そこに流れてくる問題は「仕方のないもの」に思える。問題を問題として認識できないのだ。こうなると人は下流でひたすら問題掬いをするしかない。
それは人間が川の水を当然認識できるのに、魚にとっては水が空気のように感じられるのに似ている。ここでも川、水のメタファーは生きてくる。まず私たちは、問題の川にいること、その水が濁っているかもしれないことに思いを馳せた方が良い。
ダンさんは、下流活動も否定しない。誰かがヘドロを掬わなければ、川は流れを止め、命は絶える。だけれど同時に、上流に向かう足を止めて欲しくない、というのがメッセージになる。
本書を読めば、問題解決における自分の立ち位置を否応なく意識することになる。川のどの辺りに立っているか。ここに立ち続けて良いのか。一歩でも、少しでも上流へ。そんな活力が湧いてくるノンフィクションだ。