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定型発達者に自閉症者の何が分かるのかーミニ読書感想『自閉症の僕が跳びはねる理由』(東田直樹さん)
重度自閉症で会話が難しいなか、文字盤やパソコンによるコミュニケーション方法で発信を続ける東田直樹さんの『自閉症の僕が跳びはねる理由』(角川文庫、2016年6月25日初版発行)が、衝撃的でした。執筆当時13歳。「話せない」ということで顧みられなかった、内なる心、豊かな言葉。まっすぐに読者に届けてくれています。
私が買ったもので42刷。ASD(自閉スペクトラム症)当事者の本がこれだけ読まれているというのは驚異的だと思います。「なぜおうむ返しをするのですか」「なぜこだわるのですか」といった、定型発達者(普通)の側から発せられる質問を念頭に置いた問いに対し、著者が自らの感覚と感性を解説するという一問一答形式で進んでいきます。
頭をガツンとやられたのは「何が一番つらいですか」という問いへの答えでした。
僕たちの面倒をみるのは「とても大変なのよ」と、周りにいる人は言うかも知れません。
けれども、僕たちのように、いつもいつも人に迷惑をかけてばかりで誰の役にも立てない人間が、どんなに辛くて悲しいのか、みんなは想像できないと思います。
何かしでかすたびに謝ることもできず、怒られたり笑われたりして、自分がいやになって絶望することも何度もあります。
我が子もASDが指摘されています。私も親として何度も「子育てが大変だ」と周囲に言ってきたし、「なんでこの子はこんなにかんしゃくが激しいのか」「どうして言っていることが伝わらないのか」と嘆いてきました。
けど、ASDである本人も、苦しんでいるのかもしれないと思いを馳せることは、それに比べてずっとずっと少ない。著者は「迷惑ばかりかけてつらく悲しい」という気持ちを打ち明けてくれる。当たり前だけど、ASD者にも心があることを、私は時々、いやしばしば、忘れてしまっていた。
私は「なぜASD者は定型発達者のように人の心が分からないのか」と嘆く。でも、本当に問うべきなのは「定型発達者はASD者の何を分かっているのか」なのではないか。私は定型発達という多数派にいるから「当たり前に分かってもらえる」だけだと。
ASD者には特有の感覚がある。それを、てらいのない言葉で語ってくれるのが本書の魅力です。たとえば、同じ質問は同じフレーズを繰り返すクセ。あれがなんなのかについてこう語られます。
同じことを繰り返し聞くという行動には、もうひとつ意味があります。
言葉遊びができることです。
僕たちは、人と会話をすることが苦手です。どうしてもみんなのように、簡単に話すことができないのです。
けれど、いつも使っている言葉なら話すことができます。それが言葉のキャッチボールみたいで、とても愉快なのです。
言わされて話す言葉と違って、それは音とリズムの遊びなのです。
たしかに我が子も言葉遊びが好きで、替え歌なんかも好きです。なのになぜ、普通の会話や挨拶は難しいのだろうと思っていたけど、言われてみるとたしかに、それが我が子なりの言葉のキャッチボールなんだろうなと腑に落ちました。
理解できない感覚もある。なぜ会話が難しいのか?という問いに対して、著者はその瞬間、記憶の全てを総ざらいしてると教えてくれる。
今まで自分が経験したことのある全ての事柄から、最も似ている場面を探してみます。それが合っていると判断すると、次に、その時自分はどういうことを言ったか思い出そうとします。
著者は、記憶が線になっておらず、とても断片的なのだと言います。だから、全ての事柄から探す。この感覚はどうしてもわかりません。けどきっと、大変なんだろうなとは思います。
ASD者から問いかけられる場面というのは、なかなかない。だからこそ本書を読むと立ち止まって考えられるし、少しだけですが、優しくなれる気がします。発達障害児の育児に励む親こそ読んでほしい。
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