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文学作品から「ケア」を取り出すーミニ読書感想『ケアの倫理とエンパワメント』(小川公代さん)
◎小川公代さん『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021年8月27日初版発行)
巷を席巻する「生産性」の対極にあり、それでいて同じくらい重要で、だけど忘れられがちなものが「ケア」だと思います。障害や病のある家族と生きていると、ケアの大切さや奥深さを日々考える。
本書は、古今東西の文学作品の中からケアを取り出す。その作品が描いたケアの価値を。それは思いの外、目を向けられてこなかった。
一過性の取り組みではない。著者の小川さんは『世界文学をケアで読み解く』(朝日新聞出版)というそのものずばりな本も書かれている。私はこちらを先に読んで、小川さんの眼差しに惹かれ、勇気付けられた。
ケア的な価値とは何か。たとえば「カイロス的時間」がある。
人間には、連続的進行の「クロノス的時間」とは別の「カイロス的時間」が流れている。それは、経験に基づいた想像世界が育まれる時間である。ウルフのように、考え、葛藤し続け、豊かな想像的時間を紡いでいる人も女性パート労働者のなかにはいるはずだ。
私は妻とかねがね、発達障害が指摘される子どもを世話する不安感を「鉛」と呼んでいる。それは心をへこませるに十分な重さがある。だけど、心が余裕を持つと、液体に浮かぶように浮力を得ることもある。だけど、消えはしない痛みがある。
カイロス的時間とは、ケアにつきものな鉛とともに、揺れる時間ではないかと思う。同じところをぐるぐると巡る。クロノス的時間の発想では無駄とみなされかねない堂々巡りの中に、深まる思考や、感性がある。
あるいは「両性具有的」というのもキーワード。
大坂選手の勇敢な選択もそうだが、じっさいに人の心を打つふるまいには、男性的感情(=強さ)と女性的感情(=優しさや弱さ)が矛盾しながらも同居するような〝両性具有的〟なものが多い。黒人の犠牲者の名前を刻んだマスクを着けて試合に登場した大坂選手の行動は、男性的な苛烈な情熱と女性的な共感や思いやりを兼ね備えた両性具有的な感情によって支えられていたとはいえないだろうか。
男性が男らしく、女性が女らしくあるのではない。あらゆる人間の中に男性的な面と女性的な面があり、それらが混じり合ったところに、人間的な魅力が生まれる。灰色の中に見出される虹色。これもまた、ケア的発想です。
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