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「私」でも「彼女」でもなくーミニ読書感想『ポトスライムの舟』(津村記久子さん)

◎津村記久子さん『ポトスライムの舟』(講談社文庫、2011年4月15日初版発行)

2009年芥川賞受賞。『水車小屋のネネ』で知られる津村記久子さんが最初に脚光を浴びた作品。講談社文庫のこの冬の一押しとしてプッシュされていて、手に取りました。

作品はさることながら、安藤礼二さんによる解説が素晴らしい。

作者の等身大の分身と考えて差し支えのない主人公は、物語のなかで決して「わたし」となることはない。また「わたし」とは完全に無関係の「彼女」になりきってしまうこともない。つまりこの小説では、主人公の内面の心情を吐露しているように見える部分はすべて、実は外面から見た客観的な描写なのである。

『ポトスライムの舟』p191

わたしでも、彼女でもない。たしかに津村作品は独特のリズムがある文体にプラスして、この距離感が魅力だなと納得する。自分が本作で気に入ったセンテンスにも当てはまる。

たぶん自分は先週、こみ上げるように働きたくなくなったのだろうと他人事のように思う。工場の給料日があった。弁当を食べながら、いつも通りの薄給の明細を見て、おかしくなってしまったようだ。『時間を金で売っているような気がする』というフレーズを思いついたが最後、体が動かなくなった。

『ポトスライムの舟』p14

「わたしは、思った」」ではない。でも、「彼女は、思った」と突き放してもいない。客観的なクールな文体に主観がにじむけれど、完全に1人称にはならない。

本作では、非正規雇用の不安定さが主題になる。あるいは、比較的若いうちに結婚して子どもをもうけ、夫婦関係が順調なある女性と、同じように順調そうに見えたのに離婚を決意した女性や、そもそも結婚・子育てを選択しなかった女性が登場する。世間の普通・レールと、そこから逸れていく自分。その自分をうまく抱えて生きていくために、たぶん「距離感」は重要になってくる。

09年当時、普通でなくなる不安感にさいなまれた多くの人に、津村作品の距離感は大切なお守りになったんだろうなと想像します。

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