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デートで焼肉屋に行って気まずくなって帰ってくるまでの純文学ーミニ読書感想『孤独への道は愛で敷き詰められている』(西村亨さん)
◎西村亨さん『孤独への道は愛で敷き詰められている』(筑摩書房、2024年8月30日初版発行)
『本の雑誌』の2024年度ベスト10にランクインしていて、手に取った一冊。作者は前作で太宰治賞を受賞し、本作がまだ2冊目。「キャッチアップしやすいですよ」というメッセージにも惹かれた。『バリ三行』の松永K三蔵さんが水推進する「オモロイ純文学」に連なる一冊だとも評価されていた。
たしかに面白い。そして人間の心情を見つめ、それを文章で芸術化しているという意味で純文学なのだろうと感じました。なにせ、本作は200ページ弱の物語が、時間にすると「紹介された女性と食事をして、微妙な空気になって、帰ってくる」という一日のほんの一コマでしかない。ほとんどが主人公の内心、述懐、思考なのです。
そして本作が特徴的なのは、登場人物の誰にも共感できないという点。みんな欠点が多い。たとえば主人公は、女性と焼き肉店に入ったのだけど、肉を全然食べない。それを女性に問い詰められる。
「ところで、さっきからお肉ぜんぜん食べてないですけど、嫌いなんですか?」
「いえ、嫌いではないんですけど、ちょっと肉は控えているので」
「最初に言ってくださいよ。そういうとこだと思いますよ」
いや、ほんとである。先に言えよ!ちなみにこのあと、主人公は肉を控える理由を「ヴィーガンを目指している」と説明する。焼き肉、断れよ。
小説では「登場人物に共感する」という要素はかなり大きい。いわゆる「泣ける」という感想は感情移入を前提にする。だけど本作は、そういう登場人物の魅力を放棄しているように映る。
じゃあ登場人物がクソで、しょうもない人間かというと、頷くのをためらってしまう。なぜなら共感できず、「駄目なやつだなー」とあきれるその理由に、同族嫌悪がないと言えば嘘になるから。デフォルメされているけれど、登場人物の駄目さは多かれ少なかれ、自分の中にあると気付いてしまう。
一切共感できないのに、読み進めてしまう。不思議な面白さにすっかりはまりました。これがオモロイ純文学なのか。
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