なぜ普通は普通なのかーミニ読書感想『自閉症は津軽弁を話さない リターンズ』(松本敏治さん)
ASD(自閉スペクトラム症)研究をしている松本敏治さん『自閉症は津軽弁を話さない リターンズ』(角川文庫、2023年8月25日初版発行)が学びになりました。定型発達者に比べて特徴的なASD者の言葉遣い。その発達過程の謎に迫る本でした。
タイトル通り本書は『自閉症は津軽弁を話さない』の続編。私は前作を読まずに臨みましたが(書店に前作が置いてなかった)、問題はありませんでした。タイトルが結論になっていますが、青森県に住むASDの子どもは、身近な方言よりもテレビなどの「標準語」を反復し習得する。だから、方言は話さない子が多い。というのが前作の主題でした。
本書では、前作の結論に寄せられた参考研究を新たな視座にして、ASD者の言語習得に関して深掘りしていく。「標準語しか話さなかったけど、あとから方言を話すようになったASDの子がいる」という「反証」を辿っていくパートもあります。
本書で心に乗ったのは、著者が「ASDはなにが変わっているのか」だけでなく、「定型発達者はなぜ普通なのか」を探求した点です。こんな文章がある。
普通の人はどうやって普通と言われる在り方になっていくのか?たしかに、こうした問い掛けは成り立つ。成り立つけれど、定型発達者中心の社会では、なかなかなされない発問です。
著者によると、定型発達とASDで大きく異なるのは、いわゆる「暗黙のルール」の習得です。定型発達は、大人を観察し、注意の向け方、表現の仕方を「自然に」学びとる。そうやって、コミュニケーションが標準化していく。参照点が多く頻回だからこそ、普通が形成されていく。
ASD者はここに困難を抱える。だから、多くの子が収束していく「普通」に回収されず、独特の「マイルール」「マイワールド」を形成する。
ASD者にスポットを当てるだけでは、この特有のありようをどう「直すか」に話が行きがちです。でも、もしかしたら、普通の人が普通になるその道筋に何らかの工夫を加えると、ASD者に歩み寄る方法もあるのかもしれない。
普通を問い直してみる。少なくとも、ASD者の家族としては、自分自身が普通の側からASD者を断じないような姿勢が必要なんだろうなと思いました。