見出し画像

子どもは練習中ーミニ読書感想『ヘルシンキ 生活の練習』(朴沙羅さん)

朴沙羅さんのエッセイ『ヘルシンキ 生活の練習』(ちくま文庫、2024年7月10日初版発行)を面白く読みました。フィンランド・ヘルシンキでの子育て期。北欧礼賛でも、逆に「実は北欧はダメ」でもない、淡々と現地の生活をレポートしてくれる。そしてタイトルの「生活の練習」という発想を伝えてくれる素敵な本でした。

生活の練習とはなにか。それは、著者の子どもたちが通う保育施設でレクチャーされた下記のメッセージから来ている。

基本的に今は、あらゆるスキルを練習している時期。できないことがあっても、喧嘩しても、意地悪なことを言ったとしても、それは「悪いこと」ではなく「いま練習中のこと」。

『ヘルシンキ 生活の練習』p102

その保育園では、何事も「スキル」として捉える。たとえば、友達にいじわるは嫌だと伝えること。アートを楽しむこともスキル。つまり、才能だとか、性格だとか、気質だとかではない。スキルだから、練習ができる。

そして、子どもは何でも練習中である。できないことがあっても、それは欠陥ではない。「悪いこと」ではない。足りないスキルを練習中であるという、ただそれだけのこと。

このあとに、実際著者の子ども(=クマ)に対する先生のコメントが出てきます。

アンナは「あら!そうですか。私はクマが落ち葉の音を楽しみ、葉っぱを太陽に透かせて眺めているのを見たことがあります。彼はおそらく、美を鑑賞するスキルを練習していますよ」と訂正された。そうだったのか。

『ヘルシンキ 生活の練習』p115

とっても素敵だ。美を鑑賞する力でさえ、練習して養えるという視点。そしてその視点に立てば、子どもが葉っぱを太陽に透かせるという何気ない遊びも、懸命な練習にみえてくること。

あらゆることはスキルであり、練習可能である。これは、発達障害のある我が子が通う療育園の先生も、よく言っているなと思い返しました。

たとえば、我が子はコミュニケーションが総じて苦手で、お友達のおもちゃを無言で取ってしまったりする。だから先生は「ちょうだい」と言うことを根気強く教えてくれている。あえて、子どもが好きな本を戸棚に置くシュチュエーションをつくって、子どもに「絵本ちょうだい」と言わせてくれている。

コミュニケーションを能力と捉えると、我が子は「無能力」になってしまう。そうすると当然親としては悲しいし、無能力であることを諦めてしまうことにつながる。でも、先生はスキルだと考えている。だから練習すれば、伝えかたはうまくなる。

実際そうなのです。まだたどたどしいけれど、少しずつ「ちょうだい」が板についてきている。

スキルと捉えると、大人も楽になる。だって、苦手なこともまだ、練習できるから。人は一生練習できる。そう考えれば、生きるのも楽しくなります。

この記事が参加している募集

万が一いただけたサポートは、本や本屋さんの収益に回るように活用したいと思います。