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水を描かず水を描く―ミニ読書感想『存在のすべてを』(塩田武士さん)
『本の雑誌』で2023年度ベスト1に挙げられていた塩田武士さんの『存在のすべてを』(朝日新聞出版、23年9月30日初版発行)が、たしかにすさまじい物語でした。特に後半は読む手が止まらず、気付けば50ページ、100ページと進んでいきました。これは何の小説なのか?ミステリーなのか、事件小説なのか、はたまた。幻影のように揺らぎ、姿を変えるのに、骨太。不思議で力強い一冊でした。
キーワードになるのは、絵です。ネタバレのない範囲であらすじを書くと、本書は「男児2人同時誘拐」という前代未聞の事件がテーマ。結局、2人とも無事に生還したものの、犯人は逮捕されず、未解決。うち1人が、やがて画家になり、週刊誌が「あの画家は同時誘拐事件の被害者だった」と書き立て、これが発端となり物語が動き出します。
実は、画家になった方の男児は生還までの「空白期間」があり、その期間の出来事を一切話さなかったのです。空白期間に何があったのか?犯人は誰か?なぜ男児は、画家になったのか?その謎を、この事件に縁を持つ二人の主人公が追いかけます。
印象に残るのは、絵、アートをめぐるセリフです。誰の発言かはネタバレに繋がるので言えませんが、物語後半、こんな言葉が出てきます。
「うまい絵なんて描こうとしなくていいから。大事なのは存在。(中略)」
絵を描く上で、大事なのは存在。本書のタイトルである『存在のすべてを』につながる「存在」という言葉が、絵と繋がる形で提示されます。
一見すると、矛盾するようにも思います。絵とは、現実をキャンバスに写し取ったという意味で、虚構です。でもこのセリフでは、虚構で大切なのは存在=現実だと言うのです。
別のシーンでは、こんなセリフが出てくる。
「水を描こうとしないこと、かな。実際に目にしているものを丁寧に拾っていく。透けて見える石とか太陽の光とか水面の揺らぎとか。そういうものを一つずつ描いていくと、いつの間にか水があるように見える」
水という存在に迫るには、それを取り巻く周囲の存在に目を向けること。周りの存在が、その存在を浮き上がらせる。
虚構を美しくしようとするのではない。目の前の存在に向き合った結果としての絵を完成させること。これは、「どうあるか」よりも「どう見えるか」が、現実よりも現実らしい虚構が、先行し重視される現代社会への、アンチテーゼにも感じられます。
実は本書自体も、これに忠実な構成となっている。誘拐事件の真実という、ありそうな答えに帰着しない。誘拐事件に向き合うために、さまざまな「周辺」に目を凝らし、かけずり回った先に、ようやくその本質的部分がうっすらと浮かび上がる。
だからこそ、本書を読み切った時の読後感は爽快です。読むのは決して簡単ではないし、力を使いますが、その先に間違いなく、傑作を味わえます。
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