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本を読んで孤独をほどくーミニ読書感想『ぼっちのままで居場所を見つける』(河野真太郎さん)

河野真太郎さんの『ぼっちのままで居場所を見つける』(ちくまプリマー新書、2024年10月10日初版発行)が面白かったです。一見すると、それ自体蔑みやマイナス感情を含みそうな孤独という言葉。それを「ロンリネス」「アイソレーション」「ソリチュード」といった言葉に腑分けし、タイトル通り孤独を許容できる在り方を模索する論考でした。


本書は孤独論ですが、より正確に言えば孤独を切り口にした物語論です。『ジェーン・エア』『ロンビンソンクルーソー』といった文学作品や、『アナと雪の女王』のような映像作品を読解し、そこで描かれる孤独のありよう、孤独の乗り越え方やかわし方を学んでいく本です。

胸に残ったのは、ヴァージニア・ウルフ氏の『ダロウェイ夫人』の読解。この作品では、いっとき自分の命を終わらせようと考えた主人公が、窓の向こうで暮らす老婦人の姿を見て、考えを改めるシーンがあるそう。そこには、どんな心の動きがあるか。

そして強調しておきたいのは、窓と通りをはさんだこの視線の交錯が、非常に深い意味で相互の存在承認になっているということです。お互いに何をしているか、何を考えているかは分からない。お互いの生活や内面をべったりと共有することは不可能だし、避けるべきでもある。でも、孤島かもしれないけれども、お互いに存在していて、それぞれの人生をとにかく生きている。そのような事実の深い承認が、この場面には見いだせないでしょうか。そのような承認を可能にするのが、ソリチュードなのです。

『ぼっちのままで居場所を見つける』p190

腑分けされた孤独のうち、悪くない孤独=ソリチュードの在り方が、象徴的に表れていると著者は言います。それは、孤独な自分と同じように、「とにかく生きている」もう一つの生を認識し、承認するということ。たしかにこれは、孤独であっても寂しくない。私は『ダロウェイ夫人』は未読ですが、ワンシーンからこんなに素敵な意味を引き出せる著者の読みに感動しました。

本書を通じて学べることは、まさにこうした「読みの可能性」ではないのかと思うのです。孤独への処方箋、ではなく。そのことは、最後の最後、著者自身も言及している。

最後に繰り返しますが、本書が読むことを軸にしてきたのは、孤独について考え、社会について考えることは、このように、物質的な問題であるのとまったく同時に、想像力の問題でもあるからでした。本書で扱った、孤独をめぐる物語たちは、社会を想像し直す物語たちでもあったのです。そのような物語たちを共有し、かつ個々人のパーソナルな物語としても大事にし、それをまた受け継いでいけるようなコミュニティがあるとすれば、そこにはロンリネスは存在しないかもしれない、という希望を持って、筆をおきたいと思います。

『ぼっちのままで居場所を見つける』p225-226

孤独を物質的な問題から、想像力の問題にする。先ほどの『ダロウェイ夫人』でいえば、向かいの窓の先の人生を承認することは、物質的・現実的には何の状況の変化ももたらさない。それでも、主人公の生き様はたしかに変わった。それはまさに、想像力のなせるわざです。

そして、そうした物語を読み解く人=著者がいて、その解釈を受け取る私たち=読者がいる。孤独を変える想像力が、さざなみのように広がる。

これが、本書から受け取った一番の感動でした。

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