余白とピン留めー余録『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』

谷川嘉浩さんの『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書、2024年4月10日初版発行)の素晴らしさについては別の記事に書きましたが、そこでは書ききれなかったことがありました。それは「細部にこそ重要な何かがある」という話です。

インタビューの記録をしばらく見返していれば、「大筋としてこういうことだ」という内容はわかるでしょう。しかし、「理解したかのような気分」になったときほど、注意が必要です。そういう理解の仕方では説明しきれない細部、どうでもいいように思える箇所などに重要な何かが隠されているかもしれないからです。

『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』p100

この本は「衝動」とは何かを考える本で、上記引用部分のインタビューとは、衝動を探究するための「セルフインタビュー」という手法について語った部分です。メインの読書感想では、衝動の「幽霊性」に着目したので、セルフインタビューについてはあまり書ききれなかった。

しかしここにあるように、その「書ききれなかった」部分に、心惹かれる記述があった。『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』という本の魅了は、もちろんメインの幽霊性にもある。だけど、それ以外に魅力がないかと言えば全く違くて、余白にこそ豊穣な意味が含まれている。

語りの「細部」というのは、これくらい解釈のしがいがあるわけです。全体の流れとは直接の関係を持たず、要約からこぼれ落ちるような部分(=細部)を拾い上げて、その意味を読み取るべく色々な角度から質問を投げかける。そうするも、物語全体の意味合いや語り方まで、ガラッと変わってしまうのです。

『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』p104-105

こぼれ落ちる部分を拾い上げて、考察すること。その断片をプリズムにして屈折した光は、ときに心を射抜くほどの鋭さを持つこと。

本の感想を記録することは、常に何かを「こぼれ落ちる部分」にする行為だと言えます。文章の流れから捨象するところは多い。読んでいる時は「ああ、いいな」と胸に刻まれても、いざ書いてみると稚拙な文章力では回収しきれない。

ではなぜ書くのか。それでも書く意味はあるのか、と言えば、感想記録はあくまで「ピン留め」であるといそうです。自らの表現力で、捉えられる魅力を固定する。その周辺には、あまりに豊かな本の魅力がある。記録できるものはほんの一点でしかない。

しかし、ピン一本あれば、紙=膨大な余白を壁に留めて置くことができる。忘却の大波から救い、記憶の棚に保存できる。不完全であっても。

だから書き続けたいと思います。「自分にはまとめきれない、数多の学びがある」ことを覚えて置くために。いつでも豊かな余白に立ち戻れるように。

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