ヴァナキュラーな言葉をーミニ読書感想『シャドウ・ワーク』(イリイチ氏)
イリイチ氏『シャドウ・ワーク』(岩波文庫、2023年11月15日初版発行)が学びになりました。難解なところも多々あるけれども。『コンヴィヴィアリティのための道具』でファンになったイリイチ氏の他の著作が読めてとても嬉しかったです。
イリイチ氏の論考の基盤となるのは、消費社会への批判です。あらゆるサービスが普及し、便利になった社会。しかしそれは、消費することを半ば義務付けられた社会とも言える。もはや、消費しないことが贅沢であり、困窮者ほど消費しなければ生きていけない構図がある。引用です。
ラッシュアワー以外に通勤できる人は成功者だろう。これは、テレワークが恵まれたホワイトワーカーにしか認められなかったコロナ禍を思うと、腑に落ちる例えではないでしょうか。
消費ではない在り方。もともと、人間社会にあった在り方。それをイリイチ氏は「ヴァナキュラー」と言います。これが、少し分かりにくい。消費社会に首まで浸った読み手である自分には、なかなか掴めないのかもしれない。
ヴァナキュラーな言葉、がテーマの章で下記のような言及があります。コロンブスと同時代の学者ネブリハが、時のスペイン女王に国語の普及を具申する。その時の言葉です。
この王というのは、今日における消費社会・資本主義に置き換えが可能ではないかと考えました。生活を営む上で、拘束されない放縦なことば。それが、消費に絡め取られない自由な思考・言葉、つまりヴァナキュラーな言葉である。
自分の言葉、というとたやすい。それは、きっと不格好で、サマにならない言葉。でも、押し付けられた消費に還元されない言葉。それを探すために読み、書いていくのかもしれません。
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