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物語と陰謀論ーミニ読書感想『スメラミシング』(小川哲さん)
小川哲さんの最新短編集『スメラミシング』(河出書房新社、2024年10月30日初版発行)が面白かったです。小川作品に相変わらずハズレなし。収録作の多くのテーマは「陰謀論」。ただし陰謀論を切って捨てるのではなく、物語との関係性を吟味する。
表題作の『スメラミシング』は、ど真ん中に陰謀論を扱う。とあるカフェで、「(食品やワクチンに添加された)ナノマシンの味がわかる」と語る女性と、「スメラミシング」という謎のSNSアカウントのつぶやきを翻訳する男との会話。スメラミシングとは何者なのか。そして、彼の預言は陰謀論に傾倒する市民をどう導いていくのか。
作中、こんなセリフができます。発言者は、感染症対策のマスクやワクチンを忌避する人。発言を向けているのは、とある理由で母との関係に悩む青年です。
「おかしいのは君じゃなく、君のお母さんです。君を縛りつけ、自分の思い通りにしようとしています。都合の悪い事実は耳に入れず、自分の妄想にとりつかれています。君はモンスターなんかじゃない。君は心の優しい好青年です。でも、君のお母さんは真実に目を向けようとしません。君のお母さんがワクチンを打ったのも、それが理由です。都合よく編集された情報で事実を曲解しています」
最後のワンセンテンスの直前まで読むと、陰謀論者であるはずの発言者の言葉はまともです。青年に寄り添い、青年の孤独を救う言葉。しかし最後を読めば分かるように、こんなにも青年を思いやれる発言者は、ワクチンが陰謀だという思い込みからは自由になれない。
陰謀論者であることと、善人であることは両立してしまう。私の心を救う人が、同時に私には理解できない陰謀論者であることはあり得る。このことは、何を意味しているのでしょうか。
他の作品に目を向けてみる。たとえば、巻頭に収録された『七十人の翻訳者たち』 。この作品は古代、ユダヤ聖書を他言語に翻訳する際、70人の翻訳者が別々の作業をしたのに、出来上がったのは全く同じ一つの訳だったという逸話が「真か偽か」を問う物語です。伝説が奇跡なのか、陰謀なのか。そこでこんな文章が出てくる。
物語にした途端、事実は雲散霧消するのです、と私は答える。実際の出来事とは、無数の無意味な現実で成り立っています。物語において、それらは恣意的に取捨選択され、誰かが登場人物になり、誰かが存在を消されます。そうすることで無意味で豊潤な現実を、意味ある虚構に組み換えてしまうのです。いいですか、私たちが出来事を語ろうとするとき、真実は消えてしまうのです。
作者は陰謀ではないリアルを「無意味で豊潤な現実」という。そこに秩序はなく、ただ無意味に、だからこそ豊潤に、現実は存在する。そして物語を「意味ある虚構」という。意味がある分、豊潤な現実を取捨選択し、真実すら置き去りにする虚構が生まれる。
陰謀論というとき、私たちは「現実が見えている自分」を前提にする。しかし、実は物語、つまり人間が生きていく上で不可欠なストーリー、自己理解は虚構であって、陰謀論と全く無縁とは言えない。著者の物語観は、陰謀論を排除するのではなく、完全に拭えないものとして内包する。そんな風に感じるのです。
もちろん作者は陰謀論を肯定してはいない。しかし、完全に他人事にして、嘲笑ってもいない。そんなことはできやしない、だって私たちには物語は必要でしょう?そう問われた気がします。
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