なぜNoteを再開したか?
久しぶりに文章を書きたくなった。
noteでは本のレビューを3本書いたのを最後に
3年間文章を残していなかった。
3年の間に自分に何があったのか。
一言でいうと苦悩の日々。担当部署のマネージャーを外されたり、事業に失敗したり、サッカーも結果が出なかったり…。毎日がキラキラで、楽しかった20代の反動なのかもしれない。梅雨の曇空のような閉塞感が自分の心の中に存在している。「しょせん自分はこの程度」「もっとやれるのではないか」と周りと自分の評価のギャップに苦しみ、成長というものをしばらく実感していない。いわゆる、マンネリ化状態。
なぜNoteを再開したのか?
話題を戻そう。
なぜ今Noteを再開したのか?
30歳を過ぎて、3年間ずっと答えを探している3つの問いに対して
自分なりの「解答」を見出だすプロセスの軌跡を残したいと
考えるようになったからである。
《私の問い》
①自分は何者なのか?また、何を成し遂げたいのか?
②「わかる」とは何か?
③なぜ自分は走っているのか?
①自分は何者なのか?何を成し遂げたいのか?
昨年末に決めたのがこれ。全然しっくり来ていない。
【人生の目的】
周りの人へhappyを届ける
幸か不幸かこの世に生まれて33年。自ら望んだことではないが、ここまで育ててくれた両親をや周りの人をこれ以上悲しませてはいけない。多くのhappyを届けたい。アーティストやスポーツ選手のように沢山の人へ届けることはできないけど、身近な人には届けたい。
【人生の目標】
東京を中心に色んな拠点で生活していたい。
(福岡、沖縄、札幌など)
【行動指針】
・やると決めたら100%の情熱で全部やる
・義理人情恩返し。giverであり続ける
・いつも笑顔で
②「わかる」とは何か?
サッカーの指導や新卒採用にかかわってきて、湧いてきた疑問。
きっかけはAIについて何冊か本を読んでいく中で、「記号接地問題」について知ったことだ。端的にいうと、AIがアウトプットする言葉は、ある言葉の次にくる言葉を確率や統計を用いて最も「適当らしいもの」を紡いでいるものであり、AI自身が身をもって体験した言葉ではないと。
私たち人間が「わかる」には、どんなプロセス・方法が効果的なのか?
どんな状態が「わかっている」なのか、その解像度を上げたいと思う。
③なぜ自分は走っているのか?
冒頭に書いたように、マンネリ化した日常に刺激をくれたのがランニング。
きっかけは減量だったが、今ではシリアスに時間との追いかけっこを楽しんでいる。
「走ってて楽しいんですか?」
よく聞かれるが、毎日走ることが当たり前になっていてあんまり深く考えたことはなかった。
気になるなら、走ってみればいいのに!と思うものの、自分なりの答えを探していきたい。
現時点では、大きく2つ。
①努力量と結果が比例し、定量化できる
多かれ少なかれ努力量と結果は比例する。またタイムという万国共通の基準で自分の立ち位置を客観的に知ることができる。
②色んなノイズから解放される
スマホを触らない時間を作ることで、世界と距離を置き、自分自身と向き合える時間を作ることができる。見たくない/知りたくない情報から一旦距離を置いて、自分の心と正面から対話する。悶々とした気持ちに支配されていても、ジョグが終わるころには何となく解決策が見えてきてスッキリした気持ちになる。
日々の気持ちの動きはジャーナルに。
週に1度はNoteにまとめる。
このサイクルを作る!
非常に私的なNoteになると思いますが、読んだ本の紹介や引用をしながら
進めて参ります!宜しくお願い致します。