エポケー

東京に住む会社員。 日々思ったこと、感じたことを徒然なるままに。

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最近の記事

番外編 桜井の兄貴に会ってきた

2024年9月26日。 約半年首を長ーーーーくして待っていた日。 そう今日は、大好きなMr.ChildrenのLiveの日。 22年の『半世紀のエントランス』以来の参戦。23年にリリースされたアルバム『miss you』を引き下げてのアリーナツアーというところ。 愛を込めて兄貴と呼ばせていただく。 兄貴と出会ったのは約20年前。 好きな曲はありすぎる。その時の自分の置かれている環境で変わるが、嫌いになった事は一度もない。CDはもちろんコンプしている。兄貴のバンド歴=人生

    • キャリアと憂鬱(2)

      前回の投稿は思ったよりも多くの方に読んで頂けたようで非常に嬉しく思います。有難うございます。なので、今週は前回の続きを書いていこうと思います。 前回のキャリア論私たちがキャリアについて考えるとき、「やりたいこと」言い換えれば、willを探しなさいとよく言われる。そしてキャリアの計画を立て、それに沿って生きていく事が良いとされている。しかし、その行為は大きな危険を孕んでいる。 キャリアを考えるとき、私たちは未来の自分は「今ここ」の自分と同じであるという前提で考えているのでは

      • キャリアと憂鬱

        今日のテーマはキャリアデザイン。 人材業界に10年いて、様々な悩みを抱えた人の相談を受けている。 同時に一人の人間として、今後のキャリアについて漠然とした不安を抱えている。私もだが、自分のキャリア(未来)に不安のない人は恐らくいないのではないか。自分のキャリア論の現在地を書き記しておきたい。 今までのキャリア論就活系のメディアで、何度か私のキャリア論を記事にして頂いたことがある。まずはそのインタビューを読み返して、これまでに考えてきたキャリア論を整理したい。 1.私のキャ

        • 死と憂鬱

          20代前半の頃だったと記憶している。 この本のタイトルに惹かれたのは。 思い出したきっかけは、おなじみの『スポーツが憂鬱な夜に』。 当時一ヶ月以上かけて読了し、今もお気に入りの本棚に鎮座している。 だが自分でもびっくりするぐらい内容が思い出せない。 死生観との出会い 自分が死を意識するようになったのは、25歳頃だったと記憶している。きっかけは尾崎豊にどハマりしたこと。尾崎豊が26歳という若さで死んだ事を知り、同年代の自分はショックを受けると同時に一種のロマンチシズムを感

        番外編 桜井の兄貴に会ってきた

          正しさと憂鬱

          前回の更新から時間が空いてしまった。 先週末に閉会したオリンピック。 競技を通しで観たのは、サッカー男女、マラソンくらいで あとはハイライト頼みになってしまった。 競技の結果よりも気になったのは、 「正しさって何だろう?」ということだ。 正しさって何だ? 私たちが何らかの行動するときには何らかの判断をする。 判断をする際には、必ず判断をした基準があるはずだ。 その基準が「正しさ」であると思う。個人から世界全体までの階層においてどんな種類の「正しさ」があるのか考察してみ

          正しさと憂鬱

          学びと憂鬱(2)

          改めて学びとは? つまり、ただ教科書読んでいるだけ、ただyoutube観てるだけでは学びとは言わないのである。「経験すること」、「行動が変容すること」この二つの要素がないと学びとは言わない。 経験とは? 経験は過去のことしか指さない。今ここは経験と言えるのか?経験というよりは体験という言葉の方が適当な気がする。未来はどうだろう。未来に起こりうることに私たちは経験という言葉を使わない。適当な言葉はなんだろう。予定かな。 つまり私たちは過去から未来を予測するモデルで思考し

          学びと憂鬱(2)

          学びと憂鬱(1)

          はじめに 先日のnoteにも書いたが、私が今興味があることの一つに「人はどのように学び成長するのか」ということがある。 少年団でサッカーのコーチを始めてから、早いもので12年目。これまでの知見について整理してみたい。 学びとは? 語源は確か「真似ぶ」だったと思う。 誰かの真似をしていく中で新しいスキルを獲得していく。 言葉や文字から始まり、ひらがな、カタカナ、漢字、英語、数学、などなど。 人間が長い歴史の中で紡いできた結晶を、ありがたいことに「義務教育」というシステムの

          学びと憂鬱(1)

          自分探しと憂鬱(2)

          前回は、大変恥ずかしい話だが自分の過去を赤裸々に曝け出し自分探しとの出会いから学生時代に影響を受けた物事に触れながら振り返ってきた。 今回は、前回の流れを踏まえて現在自分が感じていることを思うままに書いてみる。あっちにいったり、こっちにいったり、フラフラするが、お付き合いいただきたい。 自分と向き合うことの「崇高さ」 音楽の影響を受け、自分と向き合うことの崇高さを感じていた自分。 仲間外れにされた自分は、当然一人でいることが多くなる。 自分と向き合う時間もそれに比例してい

          自分探しと憂鬱(2)

          自分探しと憂鬱(1)

          「自分は何のために生きているんだろう」 「自分は何がしたいんだろう」 最近、転職を考えている中でこの問いに久しぶりに正面から向き合うことになった。思えば、この問いは大学時代から常に自分の傍にずっと存在している。直近1か月ほど考えたが、答えはまだ見つかっていない。 久々に自分探しの旅へ そもそも、上記の問い=「自分探し」と考えるようになったきっかけは、『日常に侵入する自己啓発』という本を読んだことだ。 著者の牧野さんは、自己啓発本という題材から、日本人はどういう理想像を

          自分探しと憂鬱(1)

          繰り返しと憂鬱

          こちらもスポ鬱に送った内容をベースに膨らませてみる。 繰り返しが持つイメージ 個人的に、繰り返し≒作業というイメージがまず浮かぶ。同時にすごく受け身なオーラを感じる。やらされてる感。すでに憂鬱。他方で、トライ&エラーという言葉に言い換えると、主体性が現れ、急に前向きな言葉になる。 学生時代から色んな繰り返しをしてきた。 幼少期の繰り返しで思い出されるのは、小学生の時に通っていた公文式のプリント。毎週束のように算数のプリントの宿題が出た。今考えたら同じような問題を何十枚も

          繰り返しと憂鬱

          仕事って憂鬱

          最近ハマっているポッドキャストがある。 『スポーツが憂鬱な夜に』 Twitterのスペース時代から聞いている。 きっかけはお二人の書籍を読んだこと。 書籍を通して感じたことはそれだけで記事が書けるので、別の機会に。 第一印象だけ書いておく。 まずは河内さんの『競争闘争理論』を読んで衝撃を受けた。 「日本サッカーが世界に近づくのに足りないものは何か?」というテーマに対して、スポーツという大きな枠組みから考え、論理を展開していく流れにドハマりしてしまった。 続いて、井筒さ

          仕事って憂鬱

          なぜNoteを再開したか?

          久しぶりに文章を書きたくなった。 noteでは本のレビューを3本書いたのを最後に 3年間文章を残していなかった。 3年の間に自分に何があったのか。 一言でいうと苦悩の日々。担当部署のマネージャーを外されたり、事業に失敗したり、サッカーも結果が出なかったり…。毎日がキラキラで、楽しかった20代の反動なのかもしれない。梅雨の曇空のような閉塞感が自分の心の中に存在している。「しょせん自分はこの程度」「もっとやれるのではないか」と周りと自分の評価のギャップに苦しみ、成長というものを

          なぜNoteを再開したか?

          新井紀子「AIvs教科書が読めない子どもたち」

          ■MARCHに合格ーAIはライバル 【AIを実現するためには二つのアプローチしかない】 ①人間を数理的に解明する →これは絶対に無理。 ②たまたま工学的に色んな方法を試したらできちゃった! →飛行機みたいな例は過去にあるが、ほぼ不可能。 ・AIとAI技術は違う →AI=Artificial Intelligence →AI技術は日常様々な場面で運用されている(ルンバなど) 【AIの歴史】 1960年代:第一次AIブーム=推論と探索のみ、条件が複雑になると機能しない 1980

          新井紀子「AIvs教科書が読めない子どもたち」

          ラルフ・ウォルドー・エマソン『自己信頼』

          「自分の考えを信じること、自分にとっての真実は、すべての人にとっての真実だと信じること—それが天才である。」 「大人は自意識によって、自分で自分を牢獄に閉じ込めている」 独立した人間でいるためには、善とか”こうすべき”という社会通念に惑わされることなく、自分でそれらを追究していく必要がある。  社会に迎合しなくていい。人間は臆病で言い訳ばかりしている。自信を失い、どこかの偉人や賢人の言葉を引用してばかりだ。  一貫性なんて気にしなくていい。昨日の自分と今日の自分の主張が18

          ラルフ・ウォルドー・エマソン『自己信頼』

          岡本太郎『自分の中に毒を持て』

          《著者が一番言いたかったこと》 「無条件」で生きることを現代人は忘れているのではないか? 《要約》 ■日本人にはオリジナリティがない 私たち日本人は、オリジナリティを持つことを許されていない。 「長いものには巻かれろ」が常識となり、自分を限定してしまいその程度で諦めている。危険な賭けはしない方がいい、というムードが漂っておりそのムードにしたがって自分を限定して生きている。 『人生を真に貫こうとするなら、必ず条件に挑まないといけない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。』

          岡本太郎『自分の中に毒を持て』