
女らしさとか男らしさとか
ちゃんと暮らしてくれないのって、暴力だと思うんですよね
「首都圏連続不審死事件」または「婚活殺人事件」で、最高裁で死刑が確定している、木嶋佳苗をモチーフにした小説、BUTTER。
私もこの事件があったとき、世間が騒ぐのと同じようにこの事件のニュースに下世話な興味を持っていたのを覚えている。
それは3人も殺したという残忍な犯行だったからでも、結婚詐欺だったからでない。
なんで、こんなブサイクで太ったおばさんがーーーー。
これはまだ中学生くらいだった私の、純粋であり残酷すぎるクエスチョンだった。
結婚詐欺で3人も騙せるのであれば、誰しも若くて、美しくて、スタイルの良い美人を想像してしまう。
だからこそ、若くもなく、ブサイクで太った女、木嶋佳苗に世間は過剰に反応し、私もそうだったんだと思う。
この本を読んでいると、嫌でも「世間や男性が求めている女らしさ」や「世間や女性が求めている男らしさ」について考えさせられる。
そして、その女らしさ・男らしさを自分に課して、苦しんでいる人たちも。
そんな一人だった主人公の里佳が、そんな窮屈さから抜け出すようにして紡いだ言葉が、胸を衝く。
「あなたや世間を喜ばせるような努力の仕方を、四六時中、できる自信もないの。
もう若くなくなってきてるし、もう他人に消費されたくない。」
この本を手にしたときは、私が中高女子校を卒業し、大学からまた異性の中で生活を始めた頃で、そこで感じた違和感がものすごくあるときだった。
私は気づいてしまった。
自分の話をしないで、自分を出さずに、相手の話を聞いている方が、ずっと男性ウケがいいことに。
相手の男性が求めているのは、私という一個人ではなく、“女らしい女”みたいなものなんじゃないか。(もちろんそうじゃない人もいましたが、、!)
女子校でのんびりなんの縛りもなく生きていただけに、この窮屈さが今もどうにも馴染めない時がある。
そしてそんなことを言っている自分も、無意識に“男らしさ”みたいなものを相手に期待したり求めていて、それで相手を苦しい思いにさせているかもしれない。
だからこそかな。
自分の中で全てが完結している人が好きだ。
自分で自分を楽しませることができて、喜ばすことができて、悲しみも痛みも、ある程度自分で治癒する術を持つ人。
身近に大切に思ってくれる人がいないから、自分を労らないなんて、やっぱり誰かへの暴力なんですよ。
最近は本当にそう思う。
私は自分にも、周りの人にも、優しくして生きていきたい。
ちゃんと自分を労って暮らしていこう。
あなたもちゃんと、労って生きてください。
Written by あかり
アラサー女