自分の中の”女”
アメリカに住むようになって、セクシャリティについて考える機会が増えた気がする。
ノンバイナリーという考え方にもアメリカで出会った。
ノンバイナリーとは簡単にいうと、自分の性自認が男とか、女とかに当てはまらない、またはそういう二元的な見方で捉えたくないという考えを意味するそう。
そこで私はふと思ったんです。
私は自分という人間から、“女”を別のものとして取り出せるのか、ということを。
私を“女”たらしめるのは、いつだって“男”だ。
違いが個性を生む限り、私が女であるには男が必要だ。
この本の主人公の奈美は47歳で恋に落ちる。
47歳。
恋をすること、“女”として求められること。
女性としての寿命の終わりを見つめるからこそ、恋愛の深みにはまっていっているように思える。
私は現在26歳で、奈美が感じる“女としてあがり”が想像できなかった。
私は奈美くらいの歳になったら、焦ったり悲しんだりするのだろうか。
自分の中で、“私”と “女性”が切っても切り離せないほど密接に絡まり合っていることにこの本を通じて気が付いた。
一度くらいなら、いいのかもしれない。
大事故を起こしてもいいのかもしれない。
年を重ねて奈美くらいの歳になった自分が、この本を読んでどんな感想を持つのか気になったりしました。
Wrriten by あかり
アラサー女