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【映画】言の葉の庭

 朝、雨が降っていた。なんだか久しぶりに降る雨だなと思う。私は比較的雨は好きだ。昔から好きな方ではあったけれど、空を見上げたとき、もうすぐ雨が降りそうだとわかると、なんだか待ち遠しくなるようなそんな気持ちを持つようになったのは、映画を観た時からだ。

 『君の名は』で、一躍脚光を浴びた新海誠監督の『言の葉の庭』は、2013年公開の中編作品だ。『星を追うこども』から2年ぶりの5作目となる劇場用アニメーション映画だ。大学時代にレンタルショップで借りた『秒速5センチメール』を観た時から新海作品にすっかり魅了されてしまった。

 当時はどのようにして、劇場の情報を知って、どこの劇場で観たかも覚えていないが、新海作品の中の1番がこの時決まってしまった。その後に制作された『君の名は』『天気の子』『すずめの戸締り』も全て観た。もちろん全て好きだし、その中で『すずめ〜』もかなりわたしにヒットしたが、パラレルやファンタジーではない作品で言えば、『言の葉』は、揺るがない。

『 “愛”よりも昔、“孤悲”のものがたり。 』

靴職人を目指す高校生・タカオは、雨の朝は決まって学校をさぼり、日本庭園で靴のスケッチを描いていた。ある日、タカオは、ひとり缶ビールを飲む謎めいた年上の女性・ユキノと出会う。ふたりは約束もないまま雨の日だけの逢瀬を重ねるようになり、次第に心を通わせていく。居場所を見失ってしまったというユキノに、彼女がもっと歩きたくなるような靴を作りたいと願うタカオ。六月の空のように物憂げに揺れ動く、互いの思いをよそに梅雨は明けようとしていた。

"デジタル時代の映像文学"で世界を魅了する新海誠が描く、愛に至る以前の孤独──。万葉集の一篇から始まる"孤悲(こい)"の物語。

CoMix Wave Films公式サイト

 男女の恋愛模様は確かに描かれているが、わたしは大人の狡さと子供の無力さがなんとも上手に描かれているところにとても惹かれた。
 そして、勝手に新海監督の真骨頂だと思っている雨のさまざまな表現に胸を打たれる。冒頭から雨の降っているシーンなのだが、スートリーの大半は雨が降っている。そういえば、私たちもこんなにもいろいろな種類の雨に打たれて生きているんだ!と、感じた。風や雨や雲や太陽や星々、目にすることが多いものほどいつの間にか当たり前になってしまっていて、気にも留めなかったりする。
 この世に存在するものは当たり前ではないということを身体の芯から思い出させてくれるのだ。

 ここからは、作品の中の言葉などに触れるので、読みたくない方は閉じてください。
 映画、是非観てほしいです。






















 私がこの作品を観た時、ヒロインであるユキノと歳がほぼ変わらなかった。ユキノは、

「27歳の私は15歳のころの私よりもひとつも賢くない。わたしばっかりずっと同じ場所にいる」

映画『言の葉の庭』

 と、言った。
 この言葉にまだクライマックスでもないのに、私は胸の奥が、お腹の奥が、苦しくて痛くて堪らなかった。私も同じ気持ちだったからだ。30代まであと少し、その時が来ても何も賢くなれないと思う自分。きっと思い描いた大人になれるとどこかで信じていた自分。いろいろな自分が、ユキノに重なった。
 自分のことを好きだという靴職人を目指す子どもに、

「私はね、あの場所で一人で歩けるようになる練習をしてたの。靴がなくても。」
「だから 今までありがとう」

映画『言の葉の庭』

 そう言って彼からの告白を受け止めずに、突き放した。彼が言われたくない、焦がれる人に、絶対に言ってほしくない言葉で突き放した。ユキノは、それを絶対にわかっている。いまだに大人のふりをしている。ありがとうなんて、確かにあるだろう本当に思う気持ちよりも、自分を守るための言葉なのだ。
 その狡さがわかってしまうから、心が痛くて堪らなかった。哀れで悲しいユキノに自分を見ていた。

 新海作品には、モノローグが多い。人の考えていることを可視化することは、まだ発達した技術でも成し得ていないが、みんな何かを考え頭の中で発信している。それが可視化されたかのように彼女らの叫びが聞こえてくる。

 クライマックスで2人が話すシーンは声優の入野自由さんと、花澤香菜さんの最高のシーンだ。なんとこのシーンは1発OKだったと聞いた。入野さんが「あれは2度は言えない台詞」のようなことを仰っていたが本当にその通りだと思う。ユキノとタカオの心の叫びが痛くとても切実なのだ。

 これを書いているだけでも泣きそうになる。劇場には5回くらい観に行った。そこでBlu-rayも即決だった。今年の梅雨が来たら、また彼らに会おうと、思う。



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