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パチンコ要素が足りない!

僕は先日「ドラゴンクエスト6〜幻の大地〜」に関する記事で、「守りたいその日常」とタイトルを捻って作成した。別に「dq6を振り返る」とかでも良かったのにわざと格好をつけた。それには理由があって、ゲームらしからぬ物語の巧みさに焦点を当てて紹介したかったからだ。

しかし、どういった層が僕の記事を読んでくれているだろう。本格的ゲーマーは恐らく殆どnoteに集まっていないのである。よって、本気で記事を読まれたいならそもそもゲームの話題を選択すべきではない。「書きたいからこそ書いて読ませる」がモットーなので、別に取り立てて気にはしていないのだが、ゲームを商売の糧としているメーカー会社はそんな志で良いのだろうか。

自分の書いた記事を自分で読んでもう一回dq6をプレイしてみたくなった自分であったが、それは早々に断念した。リメイク作としてスマホ版dq6が随分前に発売された事を以前から知ってはいたが、これが「駄作」であった事実を思い出した。ああ、ここまで事実と断言してしまっても良いのだろうか。僕は良いと思っている。何が一体「駄作」と言わしめるのか。それはずばりゲームシステムにある。

dq6の前作に「ドラゴンクエスト5〜天空の花嫁〜」という作品がある。親子三世代を軸にした物語で、父親の果たせなかった夢は、息子へ、それでダメならその息子へといったある意味分かりやすいストーリーなのだが、プレイヤーはその中間世代を主人公として操る事によって
「親父!思いは引き継いだぞ!」
「息子よ…思いは引き継いでくれ…」
の両方を味わえる点が絶妙と言えよう。

ただし、主人公は物語最後までパーティの主軸として活躍するので厳密には引導を渡された訳ではない。父の死後、生前彼が世界を旅し探し当て隠し持っていた「天空の剣」を偶然見つけるのであったが、それを装備出来ない事によっていまだ見ぬ真の勇者がどこかに存在しているのでは?と主人公とプレイヤーは察するのだ。どうやら父も装備出来なかったらしく、息子に後を託した旨の手紙が残されていた。

主人公=勇者のこれ迄の常識が覆された初めてのdqだったろう。主人公は代わりにモンスターを仲間に出来た。彼は母からモンスターと心を通い合わす才能を受け継いでいたのだ。戦闘で敵を絶滅させた後、「経験値とお金が◯◯◯手に入りました」と表示されたら話はそこまで、後ろで待機済みのマップへと本来画面が切り替わるのであるが、運が良ければ何分の1の確率で

と来るのだ。この瞬間がなんとも喜ばしく、思いもしない敵が起き上がった際の気持ちはなんとも表現し難い。主人公が成人してから、「天空の血」を引く女性と出会い、結婚、出産に至るまで人間は殆ど仲間にならない為、物語中盤、下手をすれば花嫁や天空の子供達を差し置いて主人公は終盤もモンスターと旅する事になる。ストーリーは一本道かもしれないが、システムの愉しみ方は様々なのだ。いつぞや、ロールプレイングゲームは自由度が低くて詰まらないと言ったがdq5はこの一点だけで評価出来る。物語の良し悪しをあれこれ語っていたこの僕が、である。

dq5仲間モンスターの種類と仲間になる確率


dq6も規模は小さいながら嘗ては本システムが搭載されていた(規模が小さくなってしまった代わりと言ってはなんだが転職システムが新たに追加された)。しかし、リメイクではまさかの削除である。
転職システムに押されて、「中途半端なシステムに成り下がった」とでも錯覚した結果なのだろうか。それとも容量の問題か、はたまた制作費の問題か。

仲間モンスターシステムは一種のボーナスステージである事を制作陣は分かっていない。こんな強敵が仲間に入ってしまったらゲームバランスが崩れてしまうなど野暮な事を考える必要はない。そもそも強敵は確率的に仲間に加わりにくいのだから、既に調整済みなのだ。それでも仲間に入れようと四苦八苦するプレイヤーの気持ちになって考えよう。これは、ロールプレイングゲームにありがちな、敵を大量に倒す事によってレベルアップ強化や職業の熟練を図ろうとする心理とは違う点を理解しよう。

「パチンコに何故人は集まるのか?」
この点を制作スタッフは蔑ろにしているらしい。

「テレビゲームの衰亡について考える」からの再投


の再生数差に達した原因を考えてみなくてはならない。

超サイヤ伝説の戦闘画面。5枚ある内どれかを選択するとそれは消費され、新たな手札が次のターンで追加される。次に何がくるかは分からない。   この中では「Z必四」の札が強い。「Z界Z」も中々


「ドラゴンボールZ超サイヤ伝説」には修行パートも存在する。通常はdqと同じで敵と闘い経験値を得るのだが、このパートは根気を必要としない。「是非この機会に強くなって下さい」とのメッセージが込められており、どんな手札を引いても最終的には急激なパワーアップを果たす。ただ良い事ばかりでもない。手札が悪いとストーリー進行に支障をきたすのだが、この運ゲーっぷりもまた一興なのだ。この要素がff9には欠けているし、仲間モンスターシステムを失ったdq6リメイクも然りだ。だからといって、ストーリーとは別個でゲーム内にカジノやカードゲームの場を設ければよいというものでもない。プレイヤーは、引かれたレールからはみ出したがっているのだ。一歩はみ出したと思わせる事が重要で、はなれに通わせるのは問題でない。それは新たなレールというものだ。

dq6リメイクは代わりに、仲間キャラクターの台詞を劇的に増やしたらしい。仲間内における一層の団結と、結果もたらされるであろう物語の強化を企図したのか。
制作スタッフは、テレビの前に座ってコントローラーを握っている人達にもっと思い馳せるべきだ。物語よりもシステム。僕ですら物語3割だと思っている。小説や漫画とは違う。彼等はもっと『現実』を欲しているのである。

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